川西聖書教会では1993年11月に創立10周年を迎えましたその折りに作成した記念文集の一部を

ここに紹介します。

10周年記念文集

ロード -主の道を歩む

Lord-主

Road-道

Load- 重荷

                                          10周年記念誌

日本同盟基督教団

(The Evangelical Alliance Mission) 

川西聖書教会

 

巻頭言 

川西聖書教会 牧師  森脇章夫

「わたしは、この岩の上にわたしの教会を建てます。」

新約聖書 マタイによる福音書16章18節

川西聖書教会を設立されたのは主イエス・キリストご自身です。誰が用いられたかは重要なことではありません。用いられた人に必要な唯一のことは用いてくださった主に感謝することです。その中で最も重要な役割を担われたのは今はもう天国に移り住まれた中野さんご夫妻です。

求道中のご主人と共に蛍池聖書教会で礼拝を献げておられた1972年の頃です。ご主人が川西市の花屋敷にあった三金工業に勤務しておられた関係で川西に聖書に忠実な教会が出来るように祈っておられました。

それから間もなく一人の姉妹が川西から教会に出席するようになりました。その家庭で家庭集会が営まれ、僅か10年を経て教会が設立されたのです。神様はバーソルド宣教師ご夫妻とモース宣教師を遣わしてくださいました。最初の集会場所は中央町の中野ビルでした。神様の摂理によって教会の場所は花屋敷に移りました。中野兄弟が勤務しておられた三金工業があった場所の近くです。私が赴任した年に中野兄弟が川西の九十九記念病院に入院されそこで主の御許に帰国してゆかれたのです。これらの一つ一つに神様の不思議な導きを感じます。

目に見える教会が設立されるために必要なことは人目に隠れた祈りでした。目に見える人が用いられたのは、目に見えない神様の働きでした。人間が目で見、耳で聞き頭で認識して評価することの出来ない神様の国がここに出現しているのです。                            

 「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植えるものと水を注ぐものは一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです」

新約聖書 コリント人への手紙 第1 3章6節〜8節

  大切なことですが、神様の国は私たちが何かをするのではありません。神様が私たちに志を与え、祈りに導き、多くの人々を用いて御心をなし遂げられるのです。今、10周年を迎えて神様の御心は明白です。教会に集う人々が霊的に成長する、その家族が救われ多くの人々が教会に加わる、礼拝堂と牧師館を備える、高齢化社会に備えた施設を準備する、近隣の市や町に新たな教会を開拓する、それらの教会を指導するために必要な牧師や長老、執事が教会から起こされることです。今、私たちが神様の御心を悟って以上の事を具体的に祈るならば10年後に実現します。神様がそのための人を送られ、全ての必要が満たされ、私たちの思いを越えて事が実現してゆくのです。そうして、これら全ては神様がなし遂げられるのです。

「神は、御心のままに、あなた方のうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。」

新約聖書 ピリピ人への手紙 2章13節14節     

「主の素晴らしい力」     森脇洋子

かねがね主人からメリー先生のことを「宣教師夫人の鏡」として聞いておりました。お会いして、また教会を見て、そのことが納得できました。

メリー先生は本当に良く主に仕えられたと思います。

バーソルド先生ご夫妻と私どもの引き継ぎの話し合いのとき、スタン先生は御言葉の御用に専念、他のことは殆どメリー先生がなさっていたことを知り驚きました。週報の作成と印刷、諸集会の準備や奉仕の割り振り、宣教師館を尋ねてくる人々への対応、霊的指導、家庭集会の学びと指導等です。今までに十分なことが出来なかった私は、目の覚めるような思いでそのお話を伺いました。 また、メリー先生はおっしゃいませんでしたが、教会に残こされた様々な配慮にも心を打たれました。礼拝時に生活の匂いを感じさせないようにと造られた寸分の狂いもない流し台の覆い、また食器戸棚の硝子戸に貼られたレースペーパー。手作りとは思えない説教台。教会堂に落ちついた雰囲気をかもしだしている茶色で統一されたカーペット、椅子用座布団、カーテン。それらは細部に至るまで計算しつくされ、先生の細やかな主への思いと感謝と喜びが感じられました。

にこやかで控えめに付けられたコサージが良く似合う可愛らしい(?)メリー先生、先生を用いられた神様の力は本当に素晴らしいと思いました。

先生方がいよいよ軽井沢に荷物を送られ、生活が出来なくなったとき、わが家に夕食に来ていただきました。その時、何かでむせた先生の背中を優しくさするスタン先生の姿(娘もぼーっと見ておりました)が忘れられません。その仲睦まじさに感動を覚えました。

私どもを招聘するに当たって、「二人で真剣に祈りました」と先生方からお聞きいたしました。子供の就学時期まで十分に配慮してくださり、様々に労してくださったことを知りました。心から感謝しております。       

 教会教育研修会「教会とは」1993年9月23日

10周年に向けて教会が自立するために教会規則を制定しようとしている。そのために、教会に集う人々の意識を高め教会観の一致を確認するためにこの研修会が企画された。最初、わずか4時間あまりで結論を出すことは無理ではと危ぶまれたので、川喜田二郎氏考案のラベル討議法を導入した。     4月ごろから準備が進められ8月半ばからラベルを配付し教会にイメージすることや、思いつくことをなんでも書いていただいた。時間の節約と参加できない方の意見を尊重するためであった。当日は約20名が参加し楽しくにぎやかに進められた。大きなテーブルの回りに全員が着席して賛美と祈祷と聖書朗読と牧師の短い奨励を以てスタートした。まず、今まで集められたラベルと当日参加者が書き加えたラベルをトランプのように参加者全員に配付した。次に、一人が一枚のカードを読み上げそれと全く同じ意見のラベルをその上に張り合わせた。次々にそれが繰り返され全員のラベルが無くなると又そのラベルを全員に配り、同様に一人がラベルを読むと関連する内容のラベルをグループにした。それぞれのグループに適切なタイトルをつけた。このあたりで昼食。互いにお弁当の中身を観察しながら一時間。おにぎりのひと、ご飯の人、サンドイッチの人と互いに中身を物々交換しながら食べる人があれば、受けるばかりの人、与えるばかりの人、黙々と自分の物を食べる人と様々であった。   午後は、一枚の模造紙の上にそれぞれのグループを並べその関連を探り合った。教育関連、伝道関連、奉仕関連、礼拝関連、教理や聖書関連、教会組織や運営関連等のグループについて様々な意見が述べられた。3重の円の関係や建物、木などに模する事が話された。結局、木にすることで意見がまとまり、どのグループがどこに当たるかを検討した。遠藤姉妹が木の絵を書いて根の部分に教理や聖書関連のグループが貼られた。幹の部分に礼拝関連や教会組織や運営関連が配置され最後に枝の部分に中心が教育関連、右側が伝道関連、左が奉仕関連にまとまった。最後に何処にも当てはまらない様々なクリスチャン生活の有り様を葉のように枝の回りに貼りつけた。作業後、全員でしばし出来上がった教会の木を見上げ、教会観を再確認した。全ての部分が重要で不要な部分のない有機的キリストの教会。全体の成長は、それぞれの部分の成長の結果でありそれらの一つ一つが単独ではなく全体で一つの教会を形成していることを確認した。

最後に、牧師のコメントがあり「素晴らしい教会観で、健全で理想的なバランスを持っている。しかし、これはあくまでも私たちのイメージに過ぎない。これからこのイメージに基づいた現実の教会を形成していきたい。」とお話があった。

Stan Barthold 教会の設立者      

私は家内とともに5年間にわたって,川西聖書教会において主に仕えることができましたことを本当に心から感謝しています。日々自分の弱さを痛感しました。けれども,同時に主の力を感じて,ただ主の一方的な恵みによって川西聖書教会での働きを終えて,森脇牧師にバトンタッチがスムーズにできたこともありがたく思います。

私の心の中には、5年間の思い出がいっぱいあります。特に、毎週日曜日の礼拝においての神の御言葉の特権を思い出して感謝してやまない者です。まとまりの悪いメッセージでしたし、外来語とか駄洒落が多すぎて申し分けなく思いますが、何よりも説教する時にはキリスト中心のメッセージをしようとしました。

金曜日の“ルデヤ会”も、私にとってはまさに大きな思い出です。「黒一点」という形でしたが、主にある姉妹たちと一緒に歌ったり、聖書を学んだり、そして小グループで祈り合ったりすることができたのは、本当によかったと思います。私は主日の礼拝、そして金曜日のルデヤ会をとおして、主にあって成長できたことを有りがたく感じます。ただ教えただけではなく、皆さんに教えられた感じがします。

夏のキャンプも思い出します。よく関西ブロックの合同キャンプに参加しましたが、川西聖書教会の人数が増えるに従って、ある年、自分たちの夏のキャンプができて、大自然の中で、本当に皆さんと楽しい時間を過ごすことができました。

最後のクリスマス祝会も記憶に新しい思い出です。多くの方々が川西市民会館に集まり、私達は楽しいプログラムをとおして、クリスマスの本当の意味を伝えることができました。下手でしたが、私はBing Crosbyのように“White Christmas”を歌わせていただきました

世の中では、「去る者は日々にうとし」とよく言われますが、川西聖書教会の場合は決してそうではありません。教会を出てからも、毎日皆さんのために祈りながら今日に至っています。今でもかかさず、森脇牧師の指導のもとで皆さんが霊的にも質的にも成長されるよう、祈らせていただいています。

川西聖書教会に対しては、ほかにも多くの思い出がありますが、貴教会は過去の教会ではなく、むしろ将来の教会だと信じています。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。─それは災いではなく平安を与えるためであり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」   (エレミヤ書 29章11節)

 Mary Barthold

私は、川西にいる皆さんのことを思うごとに、神に感謝しております。

約20年前に、松が丘で家庭集会を始めました。多くの婦人たちがその集会に来られ、ともに御言葉を学んだことを思い出します。ある方々はイエス様を信じて洗礼を受け、主に仕えるようになりました。数年たってから、その婦人たちが川西聖書教会を開拓するために、神様に用いられるようになったことを感謝しています。

私達が螢池を出てからも、この家庭集会は町川先生ご夫妻によって続けられ、恵まれました。そして、今から10年前に主の導きに従って、この松が丘の家庭集会の皆さんを中心にして川西聖書教会を開拓するように、螢池聖書教会から頼まれました。その時にこの松が丘の婦人たちを遣わしてくださり、いろいろな援助を備えて下さったことを思い出して感謝しております。

この教会は金曜日(11月4日)の祈り会で始まりました。あのピリピの町の川岸の祈り場に婦人たちが集まったように、私達も川西市の中野ビルに集まって神様を賛美し、主がご自分の教会をここに立ててくださるようにと祈りました。

中野ビルで借りた部屋は小さくて冷たい感じでしたが、神様の導きによって、明るい暖かいチャペルとなりました。人数が増えるごとに神様はよい椅子の並べ方を教えて下さり、小さい丸いテーブルも備えて下さいました。私は特に、そこでの最初のクリスマス婦人会を思い出して、主の御業を感謝しております。(賛美します)

中野ビルを出る時が来ると、神様は、花屋敷にある大きな家に導いて下さいました。上野さんのトラックを借りて、教会の物を運んだ日のことをおぼえています。二階の畳の部屋で楽しくお弁当を食べてから、皆さんと一生懸命にお掃除をしたり、主のために礼拝堂の準備をしたりしました。準備は大変でしたが、その五月のそこでの最初の礼拝を思い出すと、あの静かな自然の中のきれいな礼拝堂での、大いなる神様への賛美が今でも聞こえてくるようです。

思い出はたくさんありますが、特におぼえているのは洗礼式です。自分たちで作った木の洗礼槽でしたが、屋外の自然の中に置くと、ヨルダン川のそばにいる感じがしました。一人一人の証しを聞き、そのクリスチャンの一番好きな聖歌を歌ったのを思い出すと感謝で胸がいっぱいです。

私にとってもう一つの祝福は、金曜日の聖書の学びと祈り会でした。多くの小さなグループがあちこちに座って、祈っていたのをよく覚えています。そして神様がその祈りを聞いて下さり、教会を祝福して下さったことを感謝しております。川西聖書教会は祈り会で始まり、今日まで祈りによって強められ、支えられています。

神様の導きと助けによって、私達が川西聖書教会の開拓に参加できましたことを感謝しています。四年前に神様は森脇牧師ご夫妻を川西に導いて下さり、用いて下さったことも心から感謝しております。

「主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い,あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう。」                       (詩篇 145篇 3,4節)

 

バーソルド先生の日本語

ウィネトカ日本語キリスト教会 牧師  安納 義人

私は、青年のスタン・バーソルドがさっそうとあるいていたであろうミシガン湖畔のウィネトカ町で、日本語を話す人々に伝道しているウィネトカ日本語キリスト教会の牧師として奉仕させていただいている者です。

先生の母教会のウィネトカ聖書教会の一室で集会があり、先生のとなりに座った。出席者がそれぞれ日本料理を持参し、昼食を食べるときであった。先生はわたしの顔を見て、「宣教師が日本で一番好きな食べ物は何だか知っていますか。」とたずねた。見当がつきかねるので、「わかりません」と白旗をかかげた。すると先生がテーブルの上の日本食を指差し、「これです」と言われた。それは稲荷ずしでした。「これはイナリずしです。すなわち、イノリ(いなり)ずしです。」そして、両手を合わせて、祈る格好をしてみせた。これだけ、日本語でしゃれを言える先生の日本語にただただあきれた。

あるとき先生はメッセージのときに、黒板に字を書いて出席者に読ませた。「みなさん、これを何と読みますか」とたずねた。先生はE−)−( の順に書いて(E)を書いた。もちろん、カッコ−E−カッコぐらいなら誰にも読めたが、それは正解ではなかった。「では、正解を教えましょう。これは、エ−、カッコ、シ−とよむのです。関西ではいい格好のことを、え−格好し−と言うでしょう。それを英語で書くと(E)になるのです。」 ウ−ム。またやられた。

そこで、わたしもアメリカにいるのでアメリカ人にたずねることにした。

「日本人の牧師がアメリカで一番好きな食べ物は何だか知っていますか。

わかりません? これです。pasta です。

なぜなら、A pastor loves pasta.」(pastaはマカロニみたいな食べ物です。)でも、バーソルド先生みたいには冴えないみたい。(注.pastorとは、牧師のこと)

先生は日本人に何とかしてキリストをわかりやすく、楽しく聞かせるために、いろいろなことに関心をもっておられるので、このようなしゃれや言葉の遊びが生まれてくるのでしょう。それにしても、先生の日本語の能力には敬服させられます。そればかりか、先生のあたま(頭)が、シャレがいっぱい詰まっているシャレこうべ(頭)であることも良くわかりました。これからも、シャレをおおいに用いて楽しく伝道してください。

「最初の赴任地でのバーソルド先生ご夫妻」

日本福音キリスト教会連合 白金キリスト教会 牧師 櫛田節雄  

   私がバーソルド先生ご夫妻に初めてお会いしたのは1958年(昭和33年)の秋、高松福音センター(現高松シオン教会)の集会においてであった。この頃私は香川大学教育学部4回生で卒業を間近かに控えて英語の教員になるべきか牧師になるべきかで心は林の木々のように揺れていた。牧師のA師は祈りと愛をもって励ましてくださっていたのであるが不信仰な筆者はサタンのふるいにかけられているかのようで無力を覚えるばかりであった。こうした筆者にとって謙虚さと柔和さを備えたバーソルド先生は宣教師ではあったが兄のように落ちつかせてくれる雰囲気を持っておられ、なごませてくださり私の献身のためにも絶えず祈ってくださった。何度か卓球をして個人的に交わってくださったがいつも私を同じ目の高さで接してくださったことを思います。暖かさと謙虚さが印象的であった。当時先生ご夫妻は高松市宮脇の宣教師館に住んでおられ、高松福音センターの礼拝と祈り会に出席されA師が病気でもあられたので時々礼拝説教もされた。まだ軽井沢の日本語学校を終えたばかりであったためメッセージはローマ字をタイプライターで打ったものをたどたどしく読まれると言ったものであった。しかし、心に落ち着きを与えてくれる説教であった。翌年の4月にはティームの宣教師ニール・ブラウニング師が第1期目の奉仕を終えて休暇で坂出福音センター(現白金キリスト教会)を去られることになっていたがバーソルド先生ご夫妻はその後任者として高松市で約半年間待機しておられたのである。

1959年4月予定道り赴任されたバーソルド先生ご夫妻は早速日曜礼拝説教を担当され、木曜の夜の祈り会は高松市からA師が来られて説教された。日曜にはおなじくティームの婦人宣教師フィリス・チェンバレン師も毎週の女子青年会(シャロン会)のために奉仕された。当時坂出福音センターは開拓開始後2年半を経過したところであっり、礼拝出席者も15名前後であった。A師とバーソルド先生は毎週木曜日の祈り会の前の夕方、数名の信徒と共に目抜き通りの四つ角に立ち通行人たちを対象に路傍伝道を試みられた。A師は大声で大胆に説教され、まだ日本語の不自由であったバーソルド先生は金森通倫先生の伝道説教を暗唱して路傍説教をされていたとA師から伺ったものである。とにかくこうした路傍説教が主に祝されて数名の高校生がその後の祈り会に出席するようになり、その中から坂出工業高校の野球部の3番バッターと4番バッターが救われて二人は卒業後の数年後それぞれ献身した。そのうちの一人は現在N教団のI師で現役牧師として活躍されている。

1959年の夏、バーソルド先生ご夫妻はティームの年会と夏期休暇を兼ねて約40日間軽井沢で過ごされた。筆者は神学校1年生で夏休みの間にバーソルド先生ご夫妻の留守の間、坂出福音センターの諸集会と牧会を委ねられた。貧しい神学生のために経済面を配慮して下さった暖かい心を筆を取っている今も感謝している。

バーソルド先生ご夫妻とA師との協力伝道はこの保守的な坂出市でも祝福を受け、木曜の祈り会の出席者は25、6名も数えるようになり、借家の中村接骨院2階6畳二間の民家に移転した。翌、1960年4月から61年2月末まで東京の聖書学校の新卒のB師と協力伝道をされた。ユーモアと冗談好きの先生ではあったが何事にも控えめで礼拝と祈り会の説教をすべてB師に委ねられた。B師は東北地方のご出身で言葉の点で当時の信徒の方々とコミニュケーションがうまくいかず苦慮されたようである。ご病気をされたこともあり翌1961年2月末に教会を辞任された。こうしたなかで先生ご夫妻も苦労されたのではないかと思われる。しかし、持ち前の明るさとユーモアで信徒たちを励まされた。先生は毎週木曜日の夕方視力障害者の婦人信徒に次の日曜日の週報をわざわざ届けるのを習慣とされていた。日曜礼拝の賛美歌を家族の助けを得て点字で用意するためであった。先生の奥様はまことに控えめで日本の婦人にそっくりであったため婦人会のご指導も婦人たちの好評を得られた。奥様はまた前述の視力障害者の婦人がマッサージ業を営んでおられたので肩こりの治療を受けるために度々訪れてくださった。生業を助けてくれるためでもあったのでもないかと現在75歳になられるその婦人は感謝しつつ懐かしく思い起こしておられる。こうして先生ご夫妻はひとりひとりの信徒を具体的に愛される暖かい牧会的配慮に満ちた宣教師であり、その真実なご奉仕の姿は32年半を経た今日でも数名の信徒たちの心に印象深く残っている。こうしたこと全ては先生ご夫妻の隠れたところにおける熱いお祈りと信仰とご愛のゆえである。そうした主からの霊的エネルギーが蛍池聖書教会、くずは聖書教会、川西聖書教会を次々に生み出して花開いたと想像するにかたくない。先生ご夫妻の今後の日本でのご奉仕の上にいよいよ神からの祝福とご奉仕に対する報いがあるようにお祈りしたい。感謝をこめて貧しい一文を寄せる次第である。

   バーソルド宣教師との出会い

国立教会 牧師       下村 茂

高校三年生の秋、私は、土浦めぐみ教会の英語クラスに行き始めました。しばらくして英語クラスの高校生のために、クリスマスパーティが開かれました。クリスマスキャロルを歌い、クッキーを食べ、ゲームをしました。最後に、「私の主人の、ロバートソン・マクルキンの親しい友人です。」と言って、スタンリー・バーソルド宣教師が紹介されました。それから、バーソルド先生がクリスマスにちなんだ聖書を読まれ、お話しをなさいました。私が初めて聞いた説教でした。バーソルド先生との出会いは、福音の説教との出会いでもありました。

パーティが終わって何人か残りました。バーソルド先生を囲んで、聖書についての質問はもとより、食べ物、趣味、勉強、アメリカのこと...など、時間を忘れて、歓談が続きました。とうとう最終バスの時間になり、宣教師館を去ることになりました。ところが、いつのまにか、雨が降り出しておりました。ムリエル先生は、傘を出して「どうぞ、これを使って下さい。」こんど来るとき持ってきて下さい。」と言われました。その翌日、傘を返しに宣教師館を訪ねました。日曜日の礼拝がささげられておりました。パーティに参加して傘を借りなかったら、英語会話のクラスだけで終わっていたのではないか、と思っております。その後は、毎週二回、火曜日と日曜日に教会へ行くことになりました。一ヵ月後には、信仰を告白して、洗礼を受けることになるなど思いもよらないことでした。

スタンリー・バーソルド先生、および、メリー・バーソルド先生との再会まで、それほど長い年月はたちませんでした。クリスマスの出会いは、その頃、香川県内で伝道しておられたバーソルド先生ご夫妻が、次の開拓地への導きを求めて、マクルキン先生ご夫妻に会いに来ておられたときのことであることを知らされました。マクルキン先生ご夫妻が東京都内に移転され、バーソルド先生ご夫妻が香川県から、茨城県土浦市とその近郊の町で伝道するために、移ってこられました。バーソルド先生は、近郊の町に住み、その町を中心にして伝道されました。

私は、バーソルド先生の、日本語の説教原稿を読むことになりました。数週間前には、説教の原稿を日本語で書かれ、それをもって私のアパートを訪ねて来られました。スクーターを使っておられましたが、正確に、約束の時間にドアーをノックされる几帳面さには驚かされました。まだ大学生である若者との約束を誠実に守られました。それ以上に驚かされたのは、説教原稿を書くために、辞書を丹念に調べられ、ときには,私が知らない語彙があるほどでした。そのために、どんなに多くの時間を割いて、日本語を学んでおられるかを知りました。あるとき、「先生は日本語が達者であり、日本に帰化され、日本の教会のサポートで伝道されてはどうですか。」と申し上げました。意地悪な提案であることは承知のうえでした。困った顔をされてから、「十年も、二十年も日本にいると、アメリカには、友人がいなくなってしまいます。でも、私たちのために祈ってくださる人々がありますから。」と、答えられました。敗戦後の荒廃を見て福音を伝えなければならないと決心されて、大学と大学院に学ばれ、日本に来られました。人生の最も活気に溢れた時期を日本人の救いのために費やされ、親しい友とは遠く離れて過ごされることを、この上ない神の召しとして受けておられることを思わされました。

おもいで

国立教会 牧師婦人  下村 茂子

もう三十年も前のことです。田舎町では、外国の方に会うなんて、そうめったにはありませんでした。それが、クリスマスイブにバーソルド先生のお宅に、求道中の私も、教会の青年会の方々といっしょに、招待されました。

バーソルド先生ご夫妻の暖かな笑顔に迎えられ、小さなカップケーキ(って言うのかな)をいただきました。ビーズのような、いろいろな色のチョコレートで飾られた、かわいいケーキでした。奥様の手作りでした。そんなきれいなケーキを見るのは初めてでしたし、小柄な奥様のやさしさそのもののようなケーキでした。その夜は、ブラックコーヒーのためか、いつまでも眠れませんでした。

そのクリスマスからどのくらいの時間がたったかは思い出せません。私が洗礼を受けることになったとき、司式者はバーソルド先生でした。その頃、牧師は神学校を卒業したばかりでしたので、隣り町に住んでおられたバーソルド先生にお願いすることになったのです。霞ヶ浦の水がまだきれいな頃でしたから、湖で洗礼式を行うことになりました。五月晴れの日でした。風もあり、波もありました。湖底の石が足の裏にゴツゴツと当たりました。緊張して水の中に入って行くと、背の高い先生が、手を高く挙げて祈って下さり、その大きな手に支えられて、私は、水に沈みました。このときの記念写真は、今も、私の宝物なのです。

やさしい笑顔、小さなケーキ、大きな手がバーソルド先生ご夫妻の、私の思い出です。

主の使節・バーソルド先生ご夫妻

くずは聖書教会牧師   高橋 伸多 

イエスは弟子たちに、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20章21節)と言われました。人々はイエスを見て神がどんな方かを知りました。それと同じように、人々が弟子たちを見て彼らの信じているイエスがどんな方かを知ることができるように。そういう思いをこめて、主は弟子たちを遣わされたのだと思います。

主は、関西の地に、特に螢池、くずは、川西の地に、バーソルド先生ご夫妻を遣わしてご自身のすばらしさを現して下さったのだと感じています。先生方とのお交わりの中で、心に残るいくつかのことがあります。

ご夫妻と初めて個人的にお会いしたのは、1982年9月くずは聖書教会5周年記念の特別伝道集会に招いていただいた時でした。若い伝道者をわざわざ京都駅まで1時間もかけて迎えに来て下さった先生に、主のしもべの謙遜と暖かさを覚えました。翌年3月くずはに転居の翌日、心のこもった朝食でもてなして下さった奥様、当時2才だった長女を楽しく遊ばせて下さった先生の姿を今も思い出します。ご夫妻の暖かさは、主の暖かさそのものでした。

先生の、何でもコツコツと続けておられる姿は印象的でした。15階建てのマンションを下から上まで毎日2度欠かさず歩いて登っておられた姿、日本語の勉強も毎日休まず、いつも数冊の本を読み続け・・・という様子。熱し易く冷め易い私には、先生のこの粘り強さは何とも驚異でした。奥様のこれまたコツコツと人を訪ね、話を聞き、親身になってお世話される姿にも頭が下がりました。面倒臭がりの私には、チャレンジでした。

何と言っても一番教えられたこと、印象に残っていることは、先生方の祈られる姿です。ていねいに一人一人の方々のために祈り、教会の様々な働きのために祈り、生じた問題のために祈り、問題が生じる前に予め祈り、朝に祈り昼に祈り夜に祈り、ひとりで祈り夫妻で祈り教会で祈り・・・。そして、今も教会と私共家族を覚えて祈っていて下さる先生方です。人間のがんばりでなく、主との交わりから放たれる主のかおりと奉仕の力。それこそ本物であり、本当の意味で実を結ぶ秘訣なのですね。

主の愛と恵みは、人の人格を通して現され、伝えられて行くのだと思います。主が遣わされた先生ご夫妻は、確かに主を見せて行って下さいました。ここ関西の地で。私も先生方にならって歩みたいと思っています。

家庭集会の思い出

高松泉キリスト教会 牧師   町川 洋三

「使徒の働き」にベレヤの人たちのことが出て来ます。「非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。」(使徒17章11,12節)

川西での家庭集会を想いおこすとき、ベレヤの人たちのことが思いの中にダブってくるのです。私が螢池聖書教会の牧師に就任しましたのは、1976年8月のことでしたが、その当時、特に印象深く感じたことは婦人の家庭集会が盛んであったことです。数箇所で開かれていて、バーソルド先生御夫妻の指導のもとに聖書を読む会のテキストを使って自主的に楽しく聖書を学んでいました。質問にそれぞれ答えることによって聖書の所定の箇所を深く学ぶ方法です。バーソルド夫人は特に、司会者がどのように家庭集会を導びけばよいか細かく指導しておられました。伝道的な家庭集会として新しい方々が教会に来る前のステップとして、少人数で個人的な直面している問題もよく話して聖書の御ことばから教えられ、解決を与えられました。その当時、川西では梶姉妹の家を開放していただいて婦人家庭集会が持たれていました。一ノ瀬、小林、別所、山内、寺本各姉妹方が出席しておられ、マルコの福音書、使徒の働き等を学んでいました。私たち夫婦がバーソルド先生御夫妻の後を受け継いでからは、一ノ瀬姉妹宅の家庭集会が主で、時々梶姉妹宅、小林姉妹宅で集会をしたことを覚えております。これらの家庭集会を通して、一ノ瀬、別所、山内、小林各姉妹方が受洗に導かれました。もう一つの新しい家庭集会は、渡辺千枝姉妹が池田の伏尾台に移って来られ、1981年6月から家内と川西からの姉妹方、螢池からの姉妹が電車、バスを乗りついで家庭集会に協力したことです。全く新しく始めることにどのようにしたらよいか心を使っていましたが、祈りによって一回一回が支えられてきました。伏尾台に住んでおられた高橋栄姉妹(螢池、召天会員)と大原姉妹が家庭集会を通して導かれ受洗されました。そして、神様の奇しいお導きにより、再び、バーソルド先生御夫妻が家庭集会を受け継いで下さって、川西聖書教会の開拓を始めるにあたり教会開拓伝道の土台となりました。そのことを思い返して主の恵みをおぼえ、心から主に感謝をささげます。

家庭集会は、聖書の自主的学びとともに少人数の親しい交わりを通して、イエス様に心を開くことが出来る実りある伝道だと思います。

 

教会創立10周年によせて                   森脇 綾子

創立10周年おめでとうございます。

川西の地にバーソルド先生ご夫妻が教会を開拓されるという事で、その区域から螢池聖書教会に出席しておられた4人の姉妹と、又家庭集会に集っておられた方々が移って行かれました。当時、お別れするのは少々寂しい思いでしたが、主のご計画の素晴らしさをおぼえ、聖名をあがめた事でした。

関西ブロックに新しく教会が増し加えられると共に、バーソルド先生ご夫妻が、お近くに来られる事の喜びで大きな感謝でございました。

教会が新しく発足された直後、何人かの姉妹と共に訪問させていただきました。その時の様子が、まだ真新しく記憶の中に止まっております。10年ひと昔と言いますが、時の流れの速さには今更ながら驚いております。

5年前バーソルド先生には、軽井沢での新しいご用がお決まりになり、川西聖書教会を去られる事になりました。

当時、静岡県の清水聖書教会で牧会しておられた森脇章夫師を、後継者として主がお選び下さり、帰阪される事になりました。バーソルド先生のご意志を受けつぎ、牧会の業を着実に続けて来られました。

「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」       ─────ローマ11章36節 ─────

今年は、バーソルド先生ご夫妻が宣教の使命をもって来日されてから、37年目をお迎えなさったとの事。まことにおめでたく、お喜びを申し上げます。「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。」     

10周年、心よりおめでとうございます。川西聖書教会10周年記念に寄せて

土浦めぐみ教会   神谷 ゆき

主の御名を崇めます。

この度、川西聖書教会では創立10周年を迎えられて、誠におめでとうございます。 さて、月日の経つのは早いものです。土浦めぐみ教会も10年ひと昔と申しますが、バーソルド先生ご夫妻とお別れしてから20数年になります。めぐみ教会20周年記念にお目にかかり、又同盟教団の95周年の時にお目にかかりました。本当におなつかしゅうございました。

土浦めぐみ教会に滞在中の宣教活動について綴るようにとのことですが、誠に恐縮しました。バーソルド宣教師ご夫妻をめぐみ教会にお迎えしたのは、昭和37年4月でした。マクルキン宣教師ご夫妻が帰国されて間もなく、と思いました。故朝岡先生が学生牧師で、神様に用いられていました。

教会に電話もなく不便な状態でした。バーソルド先生ご夫妻は、隣の阿見の方にお住まいになりました。そして、めぐみ教会もご協力下さって阿見の開拓伝道のお働きをして下さいました。日本語がとても上手でしたからお話がわかり、また、二つ教会を掛け持ちで大変忙しかったと思います。伝道集会は、度々行いました。

バーソルド先生の講演会もありました。大勢の人が集まって、十字架のメッセージを聞きました。十字架の神の愛について、わかりやすく説明されました。神の愛がどんなに素晴らしいことであるかが、わかります。そして永遠のいのちを与えて下さり、又、イエスさまはよみがえられ、今も生きていて私たちの祈りに答えてくださいます。自分の罪を悔い改めて救われたよろこびは、感謝です。

阿見の特伝の時には、斉藤姉妹と私も奉仕させていただきました。そして、バーソルド先生のお宅でお茶をご馳走になりました。

霞ヶ浦浄水場でバーソルド先生によって、洗礼式を行ったこともおぼえています。それから真壁の桜井館で、夏期修養会を行いました。思い出が沢山あります。昭和37年から40年までに、クリスチャンホームが5組もありました。朝岡先生ご夫妻も含めてですが、神様の大なる祝福がありました。次から次へと開拓の伝道に働かれ、日本人救いのためにご苦労があったと思います。 それから昭和41年3月に大阪豊中の螢池聖書教会に転任されました。

阿見教会とめぐみ教会は、仲よく交わりもしていましたが、昭和45年ごろ阿見教会がめぐみ教会に合併しました。教会名簿を見ますと、阿見の人達が大勢だったので、にぎやかになりました。皆さんも続いて教会の交わりを行っています。

最後になりましたが、バーソルド先生ご夫妻の健康と神様の豊かな祝福がございますようにお祈り申し上げます。               以上

”私のS・バーソルド先生”

久米野 和俊 (くずは聖書教会会員・現岡山市在住)

1978年イースター礼拝の日、私は日本語を上手に駆使して、しかし外国の方らしい口調で語られるメッセージに耳を傾けていました。先生は修飾語抜きで、”イエス様は蘇られました!イエス様は蘇られたんです!”と、イエス・キリストの復活をストレートに語られました。語られる顔の表情には何の疑いの陰もなく自信に満ちていました。聞いていた私は先生の言葉に魂の真ん中がぐさりと刺し通されたような感動を覚え、パッっと光が射したようで、これだ!これしかない!と、イエス・キリストの復活の事実に生きていく希望を見いだしました。

今振り返って、神様はバーソルド先生を私の回心に最も相応しいメッセンジャーとして、その時送って下さったのだと感謝しています。そして明くる年の2月4日、私は家内と共に茨木聖書教会に行き、洗礼槽をお借りして受洗しました。洗礼槽に入り、ハンカチを自分の口にあてがいバーソルド先生の大きな手に後頭部を預け仰向けに水没した私でしたが、何の不安もなく寧ろ先生の大きな手が赤ちゃんにとっての母親の手のように安定感と信頼感を私に与えてくれていました。先生の大きな手、それは野球大好き巨人ファンの、そのままでグローブになりそうな手、ポケットに差し入れてその中でコインを「チャラン・チャラン」する癖のある手、向かい合って祈る時自分の目の前で組まれる大きな手、メッセージの時に腕を曲げて前に差し出される手、握手するとその温かさから伝わってくるキリスト者の手でもありました。私にとってはどの手も懐かしく思い出されます。

先生のメッセージの中で私がもう一つ忘れられずに今も大切にしているメッセージがあります。それは確か関西ブロックの新年聖会か何かの時に語られたものだったと思いますが、”クリスチャンの私たちは生涯「かにクリスチャン」ではなく「わにクリスチャン」でなければならない。「わにクリスチャン」になりましょう。”と言うものでした。先生独特(日本人の先生方とは一味違った表現方法)のユーモラスな、そして且つ分かりやすくと苦心して使われた表現で、聞いた瞬間、最初はよく意味が分からなかった私でしたが、「かに」は「蟹」、「わに」は「鰐」。「蟹」は横這い、「鰐」は一生成長し続けると理解できた時は、唯々なる程なる程と感心させられるばかりでした。そして、その意味の深さが実体験を通して分かってくるに従い、今では決して忘れることの出来ないメッセージとなっています。

普通の日本人よりも難しい日本語を口にする先生、口笛を吹きながら週報をコピーしておられた先生、日本人の血で輸血を受け一命を取り留められ自分は半分日本人と言っておられた先生、宣教師魂とはこういうものクリスチャンとはこういうものと生活の端々で見せて下さった先生。

バーソルド先生は、私の生活の中にどっかと根を下ろしておられます。”ただ主の栄光のために”

久米野 道代(くずは聖書教会会員・現岡山市在住)

バーソルド先生ご夫妻を「枚方市楠葉」の地にお送り下さった尊い主の御名を崇めて賛美致します。

私の生涯の主であるイエス・キリストは、先生方を通して私の心に来て下さいました。お二人は私にとって初めて接する「外人さん」。もの珍しさも手伝って礼拝に家庭集会にと集っていました。そしていつの間にかミセス・バーソルド先生の「神様の子どもにして頂きませんか(ヨハネ1章12節)」の勧めに「はい」と自然に頷いていました。しかし後で思うとその頷きは、お二人の温かいお人柄にひかれてのもので、この先生方が祖国を離れ家族と別れて文化や生活様式の全く違うこの日本に来てまで、生涯をかけて伝えようとしておられるキリスト、そして聖書...。きっと「本物」に違いないという思いから出た部分が強かったように思います。しかし、そんな風な私の思いをも神様は受け止めて下さり、キリストとの出会いだけでなく信仰の確信、キリスト者としての基本的な訓練も先生方を通して与えて下さいました。特にミセスとの数多い交わりの中でどんなに小さな事でもまず祈る事、それも具体的に一つ一つ祈る事、恵みをおぼえるためにも祈る事を忘れないためにも祈りのノートを作り祈り続ける事、そして「鏡のように主の栄光を反映させながら(第1コリント3章18節)」のみことば通り主の栄光のみを求めるクリスチャンの幸いな姿を見せて頂きました。そしてキリストが私の心をだんだん大きく占めてくださる様になった頃、先生方は「川西」の地へと移って行かれたのでした。

すばらしいキリストの香りを残して.....。(くずは聖書教会)  近藤 広子

楠葉の地において、2年程のお交わりの中でバーソルド先生ご夫妻の信仰の深さを学び、謙遜でやさしく、ユーモアに富んで温かい態度をもって応対され、親しくさせて頂いた事を忘れることが出来ません。

ご夫妻とのお交わりの中で、私共はどうしても娘の事をぬきにしては語ることが出来ません。今から10年前、当時6才であった娘は先生が大好きでした。 「変な外人」「変な日本人」と言い合ったり、大きな先生にいつも抱っこしてもらっていました。先生に出会うと「暗唱聖句きいて」と言っては、先生は足を止めて聞いて下さっていました。ある時、娘は誘惑にまけて罪を犯し、バーソルド夫人に祈って頂きました。その時、はっきりとイエス様に悔い改めが出来たのでしょう。それからは教会学校でお話を聞く態度にもお友達に対しても明らかな変化が見られました。

「私はイエス様がいちばん好き」と口癖のように言い、豆カードを使って暗唱聖句をよく覚え、電車の中、家に来られる初対面の人にも「イエスさま、知ってる?」と尋ねては親を驚かせたものです。しかしある日、昨日まで元気でいた娘の容体がおかしくなり、意識不明のまま救急病院に運ばれ、一時意識が戻り喜んだのもつかの間、国立循環器病センターに転送されて5日後、脳死の宣告。40日後、大好きなイエス様のもとに帰って行きました。

夫は受洗わずか2週間後、私も1年に満たない未熟な者に与えられた試練でした。先生ご夫妻は聖書のことばを静かに、しかも確信をもって語られ、祈りによって悲しみの中にいる私共を慰め励まして下さいました。意識が戻った瞬間の事。教会の兄弟の「陽子ちゃん、暗唱聖句は?」との問いに、「きょうダビデの町で......。ルカ2章11節」とはっきり言えた事は、娘の信仰の証しとなり、今もって残された者の大きな慰めと希望になっています。

いつも幼い魂の救いの為に祈り、みことばを蓄えることを大切にし、決して手を抜かない丁寧な準備を重ねて来られた事を、娘の死に、よりはっきり知ることが出来ました。後に知ったことですが、私共のための祈りの課題がどんな小さな事でもバーソルド夫人個人の祈りのノートに具体的に記されていました。その頃、背後の祈りがどれだけ大きなものであったかを知ることが出来ませんでした。葬儀の場がイエス・キリストを語るすばらしい証しの場として頂いたのも、祈りの答えでした。

小さな、大きな問題にも「祈りましょう。祈っていますよ。」という短い言葉に、どれだけの真実な祈りがあったことか。今さらながら、ご夫妻の主に対する信頼と愛の大きさを知るこの頃です。

母国や愛する肉親からも離れ、さまざまなものを捨て、喜んで主に仕えて来られた中で、どんなに大きな労苦があったことか。一切口にせず、ただ主に信頼し、みことばに生かされ、忠実に歩んでおられる姿。人の心をいつも思ん慮り、生活においてはアイデアを生かし、シンプルライフ。心を豊かに過ごされているご夫妻の姿を模範にしたいと願う私です。

37年間の宣教のご奉仕の一端に我が家にも福音がもたらされ、今なお、家族の信仰が保たれていることは、大きな喜びです。

まことに、神なる主は太陽です。楯です。        主は恵みと栄光を授け、

正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。      万軍の主よ。

なんと幸いなことでしょう。     あなたに信頼するその人は。 ───詩篇84篇11,12節────

何度も語って下さった主のみことばです。

主よ。バーソルド先生ご夫妻のこれからのお働きの上になお一層:主の豊かな祝福で満たして下さい。いつまでも健康を守って下さい。 アーメン

思い出                         斉藤 みつ

主の御名を賛美申し上げます。

貴教会の10周年記念日を本年お迎えできます事を喜びを持って、心よりお祝い申し上げます。お懐かしいバーソルド先生ご夫妻にはお変わりなく、お元気にて救いのため、また主のご栄光のため、熱心なお働きが続けられていらっしゃる事と存じます。

第3期開拓期を回想しますと、1962年4月から1966年3月までの先生のお働きがどんなにか大変で、ご苦労があったと思われますが、その中にあっていつもにこやかでやさしかった奥様の笑顔を今も忘れる事は出来ません。今でもあの時代を思い出し、励みとなり、日本語が上手でしたので外国宣教師と思えない程にお話と交わりも楽しく、説教も良くわかり、良い学びをさせて頂きました。土浦や阿見での度々の伝道、集会。本当に忙しい時代でしたが、私達もまだ若いと言っても中年でしたが、先生方と共に伝道させて頂きました事を今もあの当時を思い出し、懐かしく忘れることなく感謝し、信仰にはげんでおります。

「主は恵みふかくそのいつくしみはとこしえに絶えることがない」

── 詩篇136篇1節 ─── 神様はすばらしいですね。

日本同盟基督教団95周年記念日には天城山荘にて、100周年記念日には東京の会館で、バーソルド先生ご夫妻とお逢いでき、こんな嬉しい事はありませんでした。いつも思い出しお祈りさせて頂いておりますが、神様は私の心を知って下さり、あんなに大勢の中にてちょっとの時間ではありましたが、逢う喜びを与えて下さりいつも神様を賛美し、喜んで生活出来る事。      

 教会で今も主日礼拝を大勢の兄弟姉妹と共にできますのも、30数年前の昔宣教福音があって、現代がある事に気づかされます。初代宣教ウインタース先生、マクルキン先生、バーソルド先生と初代牧師・故朝岡茂先生を私は終生、教えと共に忘れる事は出来ません。代々の宣教師さんのご苦労と愛に情に満ちあふれていらっしゃるご真実な人格が私達のはげみと力と慰めとなり、また確信を持って信仰に入ることができ、感謝の気持ちで一杯です。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 (ローマ人への手紙 8章 28節)

先生方のご健康とお働きに、また、ご教会の皆様方の上にも主の守りと豊かな恵みがございます様に。

また、貴教会が益々発展なされます様に、主のご祝福が限りなくございますことを心よりお祈り申し上げます。

「ただ今求道中です」                        青木幸子

春になりました。

はずかしそうに頬を染め今開こうと準備をしているチューリップ、その足もとでは「お先に」とパンジーたちがにぎやかです。ちょっとためらいながらも水仙は背すじを伸ばして清楚な姿をみせてくれています。

神様は、何とすばらしいご計画でこれほどに美しいものを造られたのでしょう。そして私たちには、これらをみて感動する心や愛を与えて下さいました。この世にはこれらと反対に、みにくい争いや誘惑や様々な苦難があり、私たちはそのどれにも正しく立ち向かう事が出来ないまま日々くらしています。

神様は、私たちに永遠の愛を約束されたことを学びました。ところが私は、何ひとつその愛にこたえることが出来ないばかりでか本当に道をふみはずすことがたくさんあります。教会へ伺っては、幾度もみことばを学び自分にとり入れようと、又思いを新たにする日々が続いています。

今、小さな迷いとわずかな焦りの中、みことば一つ一つが支えとなり希望となっています。

皆さんは何がきっかけで、何を求めて教会へ足を運ばれたのでしょうか。

私は、幼い甥の交通事故死がきっかけで神様に問いかけ抗議を申し込みました。

そして今、「人はそれぞれ課せられた役割があり、可愛い甥はこれから天国で神様の必要となりご用のために召されたのかも知れない」と思えるようになりました。これから私がどのように教会とかかわり、信仰をもっていくのかわかりませんが、きっとそれも神様が良いように導いて下さると信じています。教会へ伺うと衣がはがれていくのをかんじます。

もとの自分に戻り。謙虚に神様と対話することが出来そうなのです。

そして今は只ひたすら求道中なのです。

「私と教会」         青木実歩 

私は、初めて教会へ行くまで、あまり神という存在について考えた事がありませんでしたし、私とは関係のないような、遠い存在だと思っていました。

川西聖書教会へ行った時、どの方も皆さん親切で、とても明るい顔をされていたのを覚えています。先生のお話は、私にも理解でき、大変楽しく、神様がいつも見守っていてくださるということを知りました。

また、教会へはなかなか行くことができませんが、行けた日は、とても落ちついた気持ちになれますし、再度神様を身近に感じることができ、昨日の自分自身とは違う、新しい自分になったような気持ちがします。

私は今、本当に神様がいて、私たちは、生かされているのだという気がします。神様を信じる人に平安をお与えになる神様は、素晴らしいと思います。私も、神様のことを心から深く信じられるように、もっともっと聖書うを読んでいきたいと思います。                         

鈴木 秀子

私は、1987年3月22日に、川西聖書教会で、洗礼の恵みにあずかりました。求道6か月目の秋に関西クルセードに招かれ、自分の罪がイエス・キリストの十字架に贖われていることを、信じることができました。悔い改めの涙があふれ流れたことが、昨日のように思い出されます。このことは、バーソルド先生ご夫妻をはじめ、教会の皆様の愛のとりなしがあったことを、今も心から感謝しております。それにもまして、神様の不思議な御計画を思わされます。───松山へ引っ越すわずか1年前に、家の近くに教会があること(雲雀が丘に7年住んでいて知りませんでした)を一枚のトラクトによって知らされたこと。そして、22年振りに教会へ通う事になったこと。──  

本当の事をいえば、教会に行くのをやめた22年間は、まったく神様の事を忘れ、罪だらけの生活を送っていたわけです。あわれみによって、このような石ころみたいな私を忘れないで救い出して下さり、今は、生きる価値観もすっかり変えて下さいました。生きていれば、いろいろな煩いも試練もあります。松山に移って、ありましたいろいろ。

しかし、主は生きておられ、いつも御言葉の約束をもってその時その時、最善を導いて下さると信じます。

現在は、四国松山協同教会(アライアンス教団)で、交わりを与えられています。救われてすぐ、四国へ移されたことも、又、神様の不思議な御計画のように思います。すばらしい教会の交わりを与えられています。今置かれた所で、私にできることを、主に献げていきたいと願っています。

川西聖書教会の愛する方々へ、心から感謝申し上げます。 皆様の上に、神の豊かな祝福が満たされますよう、祈らせていただきます。

「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自身の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」

(エペソ 1章 5節)      「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ 2章 20節)

 私の好きなみことばです。バーソルド先生御夫妻の思い出   日本イエス・キリスト教団

神戸西部教会    中村 悦子

十周年おめでとうございます。

第一回目の礼拝が、ついこの間のように思い出されます。

私自身、教会生活の歩みの中で、螢池聖書教会で教会学校時代を送りました。ちょうど大学受験・就職・結婚と忙しく、また大切な時を川西聖書教会で歩み、導かれてきたといえます。

また、その間、私のような者をも教会学校の教師としてご奉仕させて頂きましたことは、大変な恵みの時でありました。バーソルド先生御夫妻は、とても子供がお好きで、接し方もユニークでした。また、聖書のお話も大人が聞いても、とても楽しいものでした。私は小学生の時、バーソルド先生から英語を習い、みことばを語って頂きましたので、先生のもとでご奉仕させて頂きましたことは大変励みとなりました。

川西聖書教会を訪れた方々が、よく「家族的な教会ですね」と言われ、私もとてもうれしく思ったものです。それは、この教会を開拓されたバーソルド先生がジョーク大好きで、奥様がお料理上手、またお二人そろって子供好き、あたたかい笑顔でみことばをとりついで下さった中で、生み出されてきたのではいでしょうか。

今年で、日本での宣教が37年目をお迎えになられるとのことですが、川西聖書教会での5年間を神様と人に仕え、ご苦労やお疲れを口から出すことなく、ただ感謝のことばと祈りだけがあふれていたように、37年間もそのように過ごされてきたことだと思います。

聖書の中に『キリストの香りを放つものとなりなさい』というみことばがありますが、このみことばに触れる時、いつもバーソルド先生ご夫妻を一番に思い出します。

どうかこれからもますますお元気で、私たちにみことばをとりついで下さい。また、川西聖書教会も神様を中心とした家族的な教会のまま、いろんなビジョンを与えられつつ、20周年、30周年と迎えていかれることを祈らせて頂きます。バーソルド先生ご夫妻の思い出                    

中山 正昭・明子

主に信頼する者はいつくしみで囲まれる 

 ── 詩篇32篇10節  川西聖書教会創立10周年、おめでとうございます。

私たちが川西からこの奈良へ越して来て、もうすぐ3年になります。川西聖書教会で過ごさせていただいた6年間は、私たち家族にとって、宝石箱のようです。ふたを開ければ、たくさんの思い出が恵みとなって、きらきら輝いています。その中でもとりわけ大切なものは、バーソルド先生ご夫妻の思い出です。9年前、私たちは大阪から川西へまいりました。引っ越しの翌々日、主人と私と一歳の信也で、川西聖書教会の礼拝に出席させていただきました。そのころはまだ、ビルの一室で礼拝が守られていて、バーソルド先生ご夫妻が暖かく私たちを迎えて下さいました。スタン先生が主人に、「わたしより背の高い日本の方に初めて会いました。これはどうも尊敬させていただきます。」と、茶目っ気たっぷりにおっしゃったのを覚えています。メリー先生はもの静かな美しい方で、赤ちゃん連れの私にとてもよく気遣ってくださいました。

「ああ、川西はよかったなあ・・・」

奈良へ来て一年間ぐらいは、カラスの鳴かぬ日はあっても、子ども達からこの言葉を聞かぬ日はありませんでした。今はやっと一週間に一度ぐらいになったでしょうか。それほど子ども達にとって、すばらしく満ち足りた日々だったのでしょう。「そんなに昔のことをなつかしがってばかりいると、おじいさんになっちゃうよ」と、私も時々からかったりしますが、彼らの気持ちはよくわかります。礼拝が終わると、「信也くん、遊びましょう」と、スタン先生がご自分の大きな足に信也の小さな足をのせて、トコトコといっしょに歩いて下さいました。二年後に誕生した次男の友哉にも同じように愛情を注いで下さいました。大人になってからもそうでしょうが、子どものころは特に、愛されることが大切です。何よりもまず、自分は愛されていると強く実感出来ることが必要です。信也と友哉は、本当に幸せな子ども達だと思います。

友哉が生まれて四ヵ月後、私の父がガンの告知を受け、一ヵ月たらずで天に召されました。今でもその時のことを思い出すとちょっと涙ぐんでしまうのですが、多くの方々の愛と祈りに支えられ、父の召天を受けとめることが出来ました。メリー先生も心配して下さって、ご自分のおかあさまもガンで天に召されたことを話して下さいました。

悲しみは、人の心を神様に近づけてくれます。神様が与えて下さった悲しみに感謝しましょう。いつか同じような辛いめにあって苦しんでいる人を慰めることが出来るように、神様のお手伝いが出来るように・・・ 、私は、ノートにその時のことを書き留めています。

先生方ご夫妻から教えていただいたものを、とてもこれだけの紙面で書きつくすことは出来ません。神様への固い信仰・熱い想い・ユーモア。先生方とお交わりさせて下さった神様に感謝いたします。これからの先生方の歩みに、川西聖書教会に、豊かな祝福がございますよう心からお祈りいたします。 

  主にありて『溢れる恵みを頂いて』                      一ノ瀬 郁子

月日の流れの中で目を閉じると、この10年間神様が私にして下さった溢れる恵みが走馬燈のように思い出され、私を信仰に導いて救って下さった事を心から感謝しています。

私は数名の婦人の方々と螢池聖書教会から、川西聖書教会へと参りました。その時、私の大好きな聖句・第1テサロニケ5章16節〜18節の、常に喜べ。絶えず祈れ。すべての事に感謝せよ。の色紙を町川牧師の自筆で頂き、我が家の床の間に飾られ、この様に行う事が出来る様に祈っています。こちらへ来る時、何かしら「神様が何か新しい事をして下さる」という確信が心の中に広がり、期待で一杯でした。その期待通り、ハイキング、カップルス会、キャンプと、主人と共に出席するチャンスが与えられ、教会に足の重かった主人もすっかりバーソルド先生ご夫妻と親しくなり、我が家にもお招きし、楽しいお交わりをさせて頂きました。また、息子の結婚にも大変お世話になり、司式と仲人と両方して頂いて最高の喜びでした。

そして何よりも新しく松が丘らみい会を開く事が出来、モース先生の楽しい聖書のお話とギターに合わせて賛美する子ども達のうれしそうな顔は、私共の心に幸せを運んでくれました。やがてモース先生が一時帰国される事になり、今は梶姉妹と共に協力して、それぞれの役割を決めて楽しくご奉仕させていただき、童心に返る私たちです。

主はらみい会を通して、私に神様のいろいろな恵みを教えて下さいます。何も出来ない者ですから、祈りによって心を尽くして主により頼む時、知恵と必要なもの・助け手・健康・主人の理解・天候・・と、数えられないくらいの恵みを頂いています。いつも主が共にいて力を与えて下さり、自分がしているという感じがなく自然に、楽しく恵みにあずかっています。       

  この子ども達の心の中に蒔かれたみことばの種が、いつの日か芽が出て成長する事を信じています。また、バーソルド先生から森脇牧師に引き継がれ、神様はまた新しい恵みを私共に与えて下さり、聖書の深い学びによって霊的に育てて頂き、心から感謝しています。これからも益々、主の恵みによって多くのたましいが救われ、愛に満ちまた喜びに満ち溢れた教会へと成長し続ける事を心からお祈り致しております。

「肉のひとかけら」                       今村 美智代

私が、この教会に参加させて頂くようになって何年になるのでしょうか?

自分に合う教会を探して、色々な教団の色々な教会に参加しましたが、どこも納得がいかず困り果てていた時に、お誘いをうけてこの教会に参加する様になりました。

果たして、私は何を基準にして教会を探していたのでしょうか? 建物、人、牧師の説教? もちろん、それらも大きな要素でした。しかし、すべてが自分にとって心地良いと思えたこの教会でさえも、私はいつも外から眺めていた様な気がします。今思えば、私はずっと自分の居場所を探していたのかも知れません。ご奉仕の中で探したこともありました。しかし、賜物の伴わないご奉仕は祝されません。人の中に探したこともあります。本当に皆さん、親切な方々ばかりで恵まれています。青年の方々との交わりの中で多くを教えられ、わかち会えます。とても感謝なことですが、親切や交わりの中に埋もれていく恐れを感じたこともあります。

しかし、最近、説教を通して、みことばを通して主イエス・キリストを頭とした体こそが教会であることがわかる様になりました。やっと自分の居場所を見つけた様な気がします。手や足や骨を支える体の肉の一部として存在している。決してキリストの体なる教会を支える足や手にはなりえませんが、肉のひとかけらとして体の一部に加えられていることを確信できます。そしてその時、他の器官のお働きも肉として感じ、認め、連帯感を持って祈る事ができる様になりました。

夫婦を語る時に、アダムの欠けたるあばら骨に適合したエバの話が引用されます。夫婦それぞれに適した相手を用意して下さるということでしょう。

人間にも色々なタイプが存在する様に教会も様々なタイプが組織されます。きっと私の教会選びは、アダムとエバの話と同様、最も適した所へ導かれたのです。私という肉のかけらが、最も健康に順調に生かされるキリストの体へ移植されたのです。すべては主のご配慮と憐れみの業です。今は不適合反応も起こさず加えられていますが、異常を来した時には、祈り支えて下さい。

10周年を迎え、教会は青年期に突入した頃でしょうか。各器官はそれぞれ成長に合わせ、変化して参ります。肉のひとかけらなる私もまた、主のみこころに従い、張を増し弾力性を加えた肉となれる様祈り求めて参りたいものです。

祈り                          遠藤 朋子

主よ、あなたのような方は他におられません。あなたは こんな私を

神の子として下さいました。こんな私を愛し、イエス様を与えて下さいました。こんな私を力づけ、「恐れるな」とおっしゃって下さいました。主よ、私は何者なのでしょう。あなたがこれに心を留められるとは。私は、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。主よ、あなたを信じます。あなたに従います。あなたこそわが神、わが主、わが父。あなたこそ真理であり、道であられます。人は、あなたなしでは一歩として足を踏み出すことができません。あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」とおっしゃらなければ。あなたが羊飼いのように私たちを飼い、御腕に引き寄せ、ふところに抱き、優しく導いて下さらなければ。主よ、私はあなたのしもべです。あなたがこれを選び、見捨てず、力づけて下さいました。何もわからず、何もできない私を、あなたは高価なものとし、愛して下さいました。わたしはあなたの栄誉を宣べ伝えます。あなたがそのために私をお造り下さったのですから。「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ書 46章 3,4節)

主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。私をご自分のしもべとして造られた。私は主に尊ばれ、私の神は私の口となられた。主よ、ここにおります。私を遣わしてください。

まだ中学3年生だった私が、大学4年生になりました。川西聖書教会に出会って、はや7年もたったのです。信仰生活の半分以上を、この教会ですごしてきました。だからこの7年間の神様との関係は、わが愛する川西聖書教会と共にあったといってもいいと思います。この間いくつかの大きな節目がありました。高校受験・大学受験・留学などですが、その一つ一つを主が導いて下さったことは本当に恵みだと思います。「あなたの若い日に、あなたの創造者をおぼえよ」とあるように、思春期を迎える前から主に出会い、受け入れることができたことを心から主に感謝します。弱い私をいつも主は引き上げ、みことばを通して導いて下さいました。今この悪い時代にあるからこそ、私は自分がクリスチャンであることを誇りに思います。そして、これからも主に頼り、主に祈り、主のみこころを求めて歩んでいく者とさせていただけたらと思います。また川西聖書教会がこの10年間主にあって導かれてきたことを心から感謝します。私たちの神さまが、世界中どこにあっても、きのうもきょうもいつまでも変わらずに私たちのお父さまであることをおぼえて感謝します。これからが再出発!みことばを通して主のみこころを知り、祈りをもって歩んでいける教会でありますようにと願います。生まれる前から神さまに守られてきた教会であることを感謝しつつ・・・。

我が川西聖書教会、10歳のお誕生日おめでとう!!川西聖書教会での日々

大谷 弘枝 

この川西聖書教会にお世話になり始めましてから、もうどれくらいになりますでしょうか。思い返せば、遠藤ご主人様と私とが川西聖書教会でのバーソルド先生の最後の受洗者となった訳ですから、もう4年以上の歳月が過ぎたことになります。にもかかわらず、いまだに「まだまだ私は初心者」と少なからず甘えた気分が抜け切れていないのが現状です。

さてお話は前後いたしますが、受洗の折にはバーソルド先生、特にメリー先生には、噛んで含めるようにお教えいただき、本当に感謝いたしております。その後、先生方は軽井沢に日本語学校校長として赴任され、私としましては親のない子になったような?とても不安な気持ちでおりました。そうしたなか、森脇牧師をお迎えして、すべてをお世話いただくことになりまして、深く感謝しますと共に、喜んでおります。

振り返りますと、4年もの時を過ごしながら全く成長の遅い私に、イエス様もあきれていらっしゃることでしょう。甘えるばかりではございますが、皆様と同じように、主が共にいつも居て下さる!というその安らぎが、どれほどに私の毎日の支えとなっておりますことでしょう。 喜びにつけ悲しみにつけ、「主よ」と訴えるお方が私にはある!!言葉に言い尽くすことの出来ないこの大きな安らぎ。そんな日々を過ごします私に主が、聖句を覚えなさい、と語りかけて下さいました。年齢的なものもあり、初めは不安そのものでした。時には孫に60枚のカードを預け、暗唱の練習もいたしました。バスの中で学生さんに変な目を向けられるというようなひとコマもございました。滅びゆく脳細胞と悪戦苦闘しながら、やっとやっと、ようやく終了しました。私の生涯にとって、殊にこの年令の自分にとりまして、この暗唱聖句はまさに「宝もの」としか言いようがありません。何かと物忘れの多くなって参りました近ごろの私としましては、実によくやったと,ひとりほくそ笑んでおります。この大切な宝ものを無くすようなことがあってはなりません。ひとつひとつが深いお教えです。折々に噛み締めて、一日一日を送りたいと、心に誓っております。

最後に、牧師先生を始め、皆様に心よりの感謝を申し上げます。どうか、これからもよろしくご指導いただきますようお願いいたします。(了)    

葛西誠也

その後、主はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれた故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12章1節)                                 私たち夫婦は、平成2年5月より3年あまり、川西聖書教会に集い主の訓育を愛する兄弟姉妹と共にいただくことが出来感謝しています。

私にとっては、新婚間もない転勤で川西に来たことにより、はじめは大変に戸惑いを感じました。

そのようなこともあって、私たち夫婦にとっては家庭集会(創世記の学び−アブラハム)や結婚講座において学んだ、結婚は夫婦の調整によるものであることを教えられて大変意義深いものを感じています。

教会生活を振り返ってみると、シフト勤務により主日礼拝を献げることの戦いがあり、その戦いが終わると会社と仕事との戦いがありました。神様は信仰の弱い私のようなものを主日礼拝の司会や運営委員会(後に書記担当執事)として用いて下さり感謝しています。戦いや問題があればあるほど聖書を読み、祈り神様に委ねることの重要なことを改めて学びました。。

神様は、文頭の御言葉をもってアブラム(後のアブラハム)を出発させ見事に御言葉のように大きな祝福を下さいました。。このアブラムやサラのような夫婦になれたらいいなと思っております。

葛西 桂子

4月に熊本の地に来て以来ごぶさたしておりますが、みなさんお元気でしょうか。今、改めて川西聖書教会を思い出してみると.....。

初めて川西聖書教会を訪れたのは、1990年4月の日曜でした。(当時、どこの教会へ行くかまだ決まっていませんでしたので、私の母教会の牧師に紹介していただきました。) 家庭的な雰囲気の暖かい教会という印象でした。その後ルデヤ祈り会におじゃましたところ、元気なおばさまがた(?)が楽しく集っておられ、裁かない、仕える、すばらしい婦人会だと思い、まちがいない!と思い込みました。そしてこの思い込みは、揺らぐことがありませんでした。(主の与えたまいし直感なり。)

一番印象に残っているのは、洗礼式です。何度出ても感激ひとしおです。

森脇牧師を玄関(そんなりっぱなものじゃございませんが)の外でしばしばお待たせしながらも家庭集会を開くことができたことも感謝でした。クリスマス、イースターなどの時、所狭しとごちそうがテーブルに並んでいたことも楽しかったです。

しばらくしたら遊び(失礼)に行きたいな...、などと考えながらもいつになるやらわかりません。もう仰ちゃんは私たちを憶えてないかもしれませんねぇ...。   それでは、いつの日か。思い出

川西聖書教会                            中川 幸江   

 人にはいろんな出会いがあります。西多田に住むことになり、となりの広江さんとの出会い、そして川西聖書教会の人々との出会いもまたうれしいことです。偶然だと思っていました。今ふりかえってみるとかみさまのお導きと感謝いたします。                            

 森脇牧師に出会えたことはかみさまの不思議のひとつです。そしてこの私がクリスチャンになったことも不思議です。               

 今学んでいるキリストとともなる歩みは毎日はとてもできません。月に一度か二度です。聖句暗記も毎日できません。でも少しもくじけないでかみさまにお願いして楽しく学びます。いつも私のそばに、心のなかに住んでくださるかみさまに感謝します。                       

  神様と対話ができる                         西住 八重子  

 私は貝塚の東野姉妹を通して、神様の事を知りました。それから、川西に帰ってきてから突然、メリ─先生から電話をいただき家庭集会に行って神様と十字架と人間との関係について教えていただきました。そして、教会に寄せてもらいましたが、そうしているうちに教会に行くのをやめてしまいました。でも神様は私のような罪人でも忘れずに、メリ─先生と梶姉妹の二人を通して滝山の家まで来てくださいました。その時に、メリ─先生が慰めの言葉をくださいましたら、うれしくて泣いてしまいました。また、先生が「ヨブ記の所を読んだらいろんなことわかりますから」と言ってくださいました。それから、礼拝に行くようになりました。                    

   昭和60年4月26日にイエス様を受け入れることができました。そして、昭和62年4月19日にバ─ソルド先生から洗礼を授けていただきました。感謝します。また、メリ─先生は仕事もお世話くださり、いろいろなことをしてくださったことに対して感謝しています。やさしいご夫婦でした。  

   また、すばらしい森脇牧師を神様が川西聖書教会に送って下さり感謝します。洋子先生もやさしい方でいろいろなご奉仕もよくしてされるし、感謝です。また、ピアノの奏楽もいつもしてくださることも感謝です。      

  牧師の祈りや姉妹たちの祈りによって守られ導かれて健康も与えてもらっていることを神様に感謝します。今、一ノ瀬姉妹と一緒に暗唱聖句を学んでいますが、その一つ一つが、自分がクリスチャンとして歩んできたことに対して、あてはまるみことばばかりでこの暗唱聖句を憶えることが出来、一日を楽しくさせてもらっています。また、祈ることによって、神様に対して悲しみも喜びも祈りの中で対話が出来ますので、いつも神様は守ってくださり平安があたえられていることを感謝しています。               10周年にむかって私たちの教会がさかえますように祈っていきます。 

 わたしと川西聖書教会                        ハウエル キミコ

 川西聖書教会は路地の奥にある普通の民家である。私はここで、バ─ソルド先生やメリ─先生からイエスの愛の教えと人生を学んだ。私にとってかけがえのない思い出のある家なのだ。私はまだ洗礼もしていないし、とてもクリスチャンとはいえない。それでも10年ほど川西聖書教会に通っている。10年の間には私にも家族にもいろいろなことがあった。その度に私は聖書の中から慰めと励ましのことばをメリ─先生に幾度も教えていただいた。またバ─ソルド先生の全身をふりしぼるように話しかけられるお説教に、イエスの愛と教訓に満ちた深い教えを感じることが出来た。               

  私が教会に行くようになったのは、近所に越してきたフリ─ゼン先生の勧めによる。犬の散歩をしていた時、「ちょっとお入りになりませんか.」と声をかけられた。当時私は小さな息子をどう育てたらよいか、分からなかった。体力のいる子育てに毎日疲れ、ゆっくり本が読みたい、集中する時間が欲しいといつも思っていた。今から思えば、まことにわがまま、自己中心にむしばまれ一層自分が傷つくという狭い心で頼りなげに生きていた。だからいつも問題や悩みに対して、不安を感じ、激しく動揺し、どう対処してよいか分からなかった。どういういきさつだったか忘れてしまったが、ヨハネ伝の最初のくだりをフリ─ゼン先生のお宅で読んだ。「はじめに、ことばがあった。ことばは神であった。」この一行がまっすぐ私の心に飛び込んできた。物に名がつくのは分かる。しかしどの民族も必ず抽象的な内容のことばをもっているではないか。神はことばの中にやどっているのだということがよく分かった。    

  しばらくフリ─ゼン先生のところで勉強を続けた。私は神にもキリスト教にも反発していたから、質問はたくさんあった。やがてフリ─ゼン先生は東京に引っ越しされることになった。そして紹介されたのがバ─ソルド先生である。私は時々しか教会に行くことはできなかった。なぜなら、イギリス人の夫はカトリックで、私がプロテスタントの教会へ行ったことを知って激しく怒りだしたからだ。夫婦は宗教が一致しているのは当然であるという。私のしたことは夫にとってまさしく晴天のへきれき、悪夢である。私はヨ─ロッパの厳しい宗教の歴史をまるきり知らなかった。考えてみれば今もイギリスは、アイルランドと宗教戦争をしている。日本は無宗教の国なのでこうしたことがおこるのだけれど私はひどいショックを受けたものの、夫の気持ちを長い間理解できなかった。                              

  こうした状態でよくも教会へ通うことが続いたと思う。家庭集会で友達になった人もいた。人との出会いをとおしてそれぞれの悩みを知り、人生の重みを考えた。メリ─先生はどのような悩みや問題の問いかけに対しても、必ず聖書から引用して答えられた。ある日私はメリ─先生にエリコの町のことを尋ねた。神は約束の地としてエリコを与えられた。けれどそこで生活の営みをしていた人を、殺してよいのだろうか。神はどうしてそんなことを認められるのだろう。今に至る人間の争いのもとを神自らがしたようなものではないだろうか。メリ─先生は一瞬とても驚いた顔をされた。そしてそれから忙しげに聖書をめくられた。「神の御思いは私たちよりも高い」という。イザヤ書55章9節を示された。以来私はこのことばを金科玉条としている。本当に人間の力、考え、能力には限りがある。祈りを通じて神と対話することによって、私は自分の姿を知ることになった。人が判断する自分ではない。本当の自分自身である。そして自分の人生を確かに知らないうちに少しずつ、歩きはじめることが出来るようになった。

    「祈りには力がある」ということも川西聖書教会で知った。何年も恥ずかしくてできなかった。けれど私の進退極まった時、いつも教会で祈っていただいた。今は口に出して事細かに祈ることが出来る。口に出すと不思議に自分の本当の気持ちが、素直に出てくる。そしてどうしてよいかもだんだん分かるようになる。「すべてを神に託します」と祈る時、どのような結果が出ようと受け入れることが出来るようになった。失いたくない、変わりたくない、損したくない、傷つきたくないという気持ちが人間を支配しているので、不安と苦悩があるのだろう。夫は次第に日本の宗教事情を知り、私がプロレスタントの教会にいくことにも慣れてきた。時々はお祈りの注文もくるようになった。  

 いつまでも一緒にいることができると思っていたバ─ソルド先生が、軽井沢へ新しい仕事のために行かれることになった。私は大ショックである。その後森脇先生が赴任してこられた。「私は神様に特別に愛されていると思っています」という先生の一言に触発され、私はその場で信仰告白をした。虚弱だった私が、こうして生きていることは何か私に役割があるように思えたからだ。その後教会の皆様の前で、「私は私を必要とする人のために、愛と献身をもって感謝とともに生きていきたい」と言った。人の前で声に出して宣言することは不思議な作用がある。特別に努力しないのだが、だんだんそうした役割になってくる。私は川西聖書教会から、愛、感謝、自分自身、献身、祈り、人生、つまり神の賜物を何一つ努力せず、ことごとくもらったのである。(笑顔のすばらしい人といわれるようになった)大きな樫の木のように毅然と根をはって、豊かに枝と葉をしげらせ、多くの人々を憩わせたバ─ソルド先生御夫妻との出会いを私は心から感謝している。                  

 

  私と学び会                             広江 智子  

  私は1990年6月末の聖日からこの教会に来ました。沢山の疑問を抱え込んで訪れました。私の心のなかは交通整理をしてもらわなくてはどうにもならいほどこんがらがってしまっていました。ところが、聖日ごとのメッセ─ジで、また金曜日のルデヤ祈り会の学びを通して、私の心のなかで問題としてくすぶっていたことが次から次へと的確に解決されていくではありませんか。私は毎回心のおどる程、喜びでいっぱいになりました。まるで私の質問に答えてくださっているような学びでそれは不思議でした。そして、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」と、いつも神のあわれみを感じていました。今も、その時の気持ちと同じようにこの教会で学べることが嬉しく、ワクワク、ドキドキしつつ、聖日、水曜日午前の学びと夜の聖書研究祈祷会、金曜日のルデヤ祈り会、早朝祈り会、家庭集会での聖書学び会とそれは楽しみです。ノ─トとバインダ─もずいぶん増えて、自分の小さな収納場所をどのように整理しようかといつもあれこれ工夫して暮らしています。         

     広川 梅    

 10周年。もうそんなになるのですね。想えば、日曜礼拝に出席するようになって5年。受洗して3年余。昨日の出来事のように、思い出されます。教会とはどんなところだろう?また、どのような人々が、信徒になれるのだろうか?今から思うと、滑稽なぐらい、無知な私でした。別世界のことと思っていたのです。

  そんなある日、今は松山に住んでおられる鈴木さんに誘われたのです。教会で英語を教えているから行ってみない?外国の先生の発音を聞くだけでも、勉強になるわよ。一寸好奇心も手伝って訪れたのが、私の始めての教会との出会いでした。毎週10分から15分位、英語での聖書の学びがあり、この僅かな時間の学びが、非常に興味深く感じたことを今でも憶えております。未知への探究とでも申しましょうか。私にとって教会にとどまる要素になったように思います。 

   特に驚いたのは、2千年前に書かれたという聖書。今日そのままの姿を再現し書かれているように思われ、驚きと共に、不思議な思いにかられたことも忘れることは出来ません。また、受洗以来、次から次へと厳しい試練を与えられ、ともすれば、誘惑に負けそうになることも度々ありましたが、こんな私を戒め励まし勇気づけてくれたのが聖句だったのです。若し教会との出会いがなかったとしたら、今頃どうなっていただろう?少なくとも心の安らぎはなかったと思います。最近、様々な宗教の勧誘が盛んで、わが家にも度々訪れ、今にも世の終わりの時が来る様に話していかれる。こんな時私はいつもルカ17章20〜21節の聖句を思い出します。神の国がいつくるか、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではない。ここにあるとか、あそこにあるとか言えるものでもない。『神の国は、あなたがたのただ中にある。』」            

  受洗3年余りにして、今漸くみことばに教えられ、また、喜びと平安を与えれた幸いに、気付き始めた私です。                   

不信仰の中で                            松本 博子  

 クリスチャンとは名ばかりの私に、川西聖書教会の10周年記念誌によせる文章を書くなど出来ないと思いました。でも、机に向かって考え悩んでおりましたら、これはいい反省の時を神様がお与えに下さったのではないかと思いました。                              

  私がはじめて川西聖書教会に参りましたのは6年前の3月でした。受洗して半年足らずの頃で少しとまどっていましたが、バ─ソルド先生の時々ふっと笑わせて下さる礼拝の時、メリ─先生の温かい笑顔、姉妹方の家庭的な雰囲気は心安まる思いがしました。丁度、バ─ソルド御夫妻が軽井沢にいらっしゃる同じ頃、主人が単身赴任をする事になり生活が一変しました。     

  礼拝を欠席する事が多くなるにつれ、神によりたのむ事が多い中でも心のなかでつぶやき一歩づつ神から離れていくように思えました。そのような中で森脇牧師の説教の言葉に励まされたり奥様にお手紙をいただいたり、また蛍池の叔母に聖書の言葉に有るように枝から離れないでとどまっていなさいねと元気づけられました。                         

  4年半の一人暮らしの中でとても心細くなる時、日頃の不信仰も忘れて神様に祈りました。神様の恵みのなかで私も家族の者も無事に過ごすことが出来たと感謝しています。7月、主人も戻ってまいることになり喜んでいます。多くの人に支えられて小さな信仰を保ちつづけられ感謝します。次の節目20周年に向け成長していきたいと願っております。            

   的場 祐子   

 私は約4、5年前に富山の方からこちらへ引っ越してきました。今になっての感想ですけど、この教会は国際色豊かだなあと思いました。いろいろ海外へ行っておられる方々がおられるし、生まれが大阪じゃない人が多いからです。まだ求道者なので、いつもお昼残るのが残りにくかったのですが、ある日葛西さんに、「お昼残っていかない?」と誘われて、その時以降、気楽に残らせて頂いているのです。おかげ様で、ニュ─ライフの人達とも、個人的に親しくなれまして、感謝致しております。メリ─先生には、木曜日と、日曜日のキリスト教放送(TV)を教えて頂きまして、何回か、見せていただいていますが、よろしいです。1月か2月に始まった日々のみことばも、時々(恐縮です)読ませて頂いております。今、私が自分の概念で捕らえている神様が、キリスト教の神様であるかどうか、分かりません。でも、ルデア祈り会や家庭集会での聖書の学びを通して、少しでも自分を向上させるステップになればと思っています。

 

 僕と川西聖書教会                          湊 一功 

    始め、お世話になったのは、阪急ショッピングセンタ─の隣の中野ビルの頃でした。金曜日の婦人会で、バ─ソルド先生だったので、10年前だったと思います。それから、一度教会を離れ、循環器センタ─に入院.開頭手術で、頭蓋骨開頭手術の後遺症が出ると言われた時に、再び戻ってきて、それから、日曜日の礼拝は、二部礼拝に出席し入院前に手術するはずのCTでひっかかったのが、MRIではなかったのです。                 

  しかし、その時に心臓がひっかかり、問題はあるのですが、本当に心臓のほうは守られています。また、合唱団員をやりながら礼拝も出席しているので、たまに二部礼拝に出席していたのが、一部礼拝に出席するというわがままも聞いてもらったり、これからまだまだどんな仕事に決まるかわかりませんので、一部、二部、でなく五部に変わるかもしれませんし、全く顔がだせなくなるかもしれませんが、よろしくお願いします.しかし、できる限り、出席させていただきます。                          

   いのちの木の実                           村田 直美  

  今から7年前の事でした。 第二反抗期の娘の育て方に思い悩んでいた頃、一人の婦人を通して、教会へ行きました。生まれて始めてでした。三角屋根に長椅子のある教会堂をイメ─ジしていましたが、路地の奥にある引戸玄関の純日本風家屋が教会とは思いもよりませんでした。しかし、そこに集われるバ─ソルド御夫妻を始め、婦人達の温かなまなざし、柔和な顔、穏やかな言葉。聖書よりこの人々に興味が注がれました。「何故、こんなに輝かしい表情をしていられるのか」と。その秘訣が聖書にあることを知り、メリ─先生の導きによってイエス様を受け入れました何の確信もありませんでしたが、神様を信じてみようと思いました。  

  それから変わりもなく、主日礼拝には行かず、主にルデア祈り会に集い、聖書に学ぶ日々でしたが、自分自身は変わりたいと思いつつ、一向に変わることができません。教会も5年が過ぎ、宣教師から牧師へとバトンタッチの変換期でした。森脇牧師によって聖書の学びにより一層拍車がかかりました。 

  うぬぼれ屋で自信過剰な私に神様は3年かかって罪を解らさせ下さいましたクリスチャンとなって、まだよちよち歩きの私にこの7月教会から韓国へ行く機会が与えられました。韓国の教会に、また韓国の牧師先生やクリスチャンの主に仕える姿を見て、確かに神様が働いておられるのを確信することができました。                              

  「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。・・・             

 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通ってはいれるようになる者は幸いである。」黙示22章12〜14節   私もはいれる者になりたいと願いつつ。 

   私と川西聖書教会                          渡辺 千枝   

 10周年おめでとうございます。バ─ソルド先生ご夫妻やモ─ス先生にどれほど愛の御親切をいただいたことか数えきれません。ここ4年間は仕事をもったため、日曜クリスチャンになっていますが、それだけ日曜礼拝は必死です。と自分では思っていましたが、許されているから通れるんだとこの頃は思っています。大胆な森脇牧師のメッセ─ジは深い感動を与えずにはおきませんから私は主の恵みを感じます。何度も何度も危険や災いから守られ、祝福を与えられてきました。そしてこれからも益々祝福されていくと信じています。   主の聖いお名前を高らかにほめたたえます。     

10周年記念韓国旅行記 

参加者 森脇章夫牧師、遠藤弘子、村田直美、渋谷真紀、遠藤朋子。

1993年 7月15日木曜日、大阪国際空港発のJAL961便で出発。一面の雲海が見えた。到着後カウンターを出たところに趙 南洙牧師と東西中央教会の権 牧師と長老、伝道師の方々が出迎えてくださった。その足で38度線に向かう。途中漢江には鉄条網が二重に張りめぐらされ歩哨に立つ兵士の姿が見られた。小高い山の展望台に到着。西方に漢江、北方に臨津江( イムジンガン) 対岸は北朝鮮である。38度線が臨津江の中央を東進している。西側は漢江と合流しそこが黄海に注ぐ河口。30数年の日帝支配時代、引き続いて始まった凄惨な南北動乱、祖国を分断する38度線、これ抜きに今日の韓国とその教会の基盤を理解することは出来ない。見学を終えて一路宿舎のオリッピック・パークテルへ向かう。チエックインを済ませて10階の部屋へ、落ちつくまもなく迎えの車が来て教会の婦人の家庭で夕食、御馳走攻めであった。宿舎に戻り、牧師は近くの全牧師の教会の教会学校教師徹夜祈祷会で説教。夜の11時、百名以上で熱い祈りが献げられた。教師は40代から50代で韓国教会の層の厚さを実感した。

翌日は、民族独立記念館見学。ソウルから8車線の高速道路を南に約2百キロ国土のほぼ中央にある。日本の教科書問題を契機に国民の寄付で建設された。民族の歴史が展示されていた。中心は三一独立運動、日本による韓国併合に端を発した独立運動である。運動の中心を教会が担った事は感動的であった。

見学を終えて、ソウルに帰着し金 永三大統領が行きつけの料亭のその部屋に案内され正式の韓国料理を賞味した。東西中央教会の信徒の方の娘さんが経営しておられ又も御馳走攻めであった。大統領の所属するチュンヒョン教会の巨大な輝く尖塔を西に仰ぎ宿舎に帰着した。その後、東西中央教会の徹夜祈祷会に参加し帰宿後就寝した。

翌17日は午前中ソウル近郊の祈祷院を訪問。憲法記念日で広い高速道路も大渋滞であった。山の斜面、中腹に建てられた祈祷院は雨に霞んで神秘的。最初の手狭な建物と奥に見える大きな旧礼拝堂、正面に新築中の巨大な礼拝堂が韓国教会の発展と祈りの力を実感させた。雨の中、山腹の岩場で円陣になって祈った。何処から沸き起こるのか、熱い涙に感動を覚える。幾つかの教会の青年が教会学校の夏期キャンプに励んでいた姿も印象的であった。

高速道路の混雑を対向車線に見ながらソウルに帰着、ロッテワールドと付属の民族館に行く。昼食の冷麺の味は格別であった。休日のため混雑するロッテ百貨店を避け空いた免税店でショッピング。車を運転してくださった伝道師の先生とはぐれバスで宿舎へ、迎えにきた車で東西中央教会の信徒の家庭に向かう。ピアノの教師のご家庭で馳走攻めであった。 

18日は、主日。東西中央教会の煉瓦造りのどっしりした会堂の地下礼拝堂でで第二部の礼拝に参加した。司会が権牧師、森脇牧師が説教、趙牧師が通訳、3百名以上の会衆とともに同じ主を礼拝する幸いな一時であった。礼拝後に姉妹教会の締結。2階の集会室でおいしいカレーの昼食。その後、3階の牧師室で歓談し教会学校の夏期学校を見学した。夕食は見事な螺鈿家具に囲まれた信徒の家庭に招かれ歓迎され、またも御馳走攻め。浦島太郎になった気分であった。

その夜は、趙牧師の開拓された招待キリスト教会の鄭長老のお宅にお邪魔、歓談した。教会開拓の困難や、献堂したばかりの会堂の焼失、経済的困難、その後の大きな祝福と日本宣教への決断をお聞きした。また鄭長老の入信と弟子化訓練、事業の困難と信仰に立った後の神様の豊かな祝福、信仰的決断のさまざまを興味深くお聞きした。夜遅くに、宿舎に帰宅した。

翌19日、オリッピック記念公園に隣接したオリッピック・パークテルを後にして一路金浦空港へ12時45分発のJAL962便で無事大阪国際空港に帰着した。

 

 

10周年のビジョン        10周年担当執事  遠藤正衛

1)窓辺のカーテンを開けると時計型花壇の中央に真っ赤に咲き乱れたサルビアが目に飛び込んでくる。

放射状の踏み石はどの部屋からも花壇に辿り着きその先5メートルのところに白く輝く礼拝堂がそびえている。更に、その横に4 LDKの牧師館がレトロ風のたたずまいをみせこの辺り一帯は何か神々しい雰囲気をかもしだしている。2)今朝も朝もやの中、早朝礼拝に集まった人達が、このバイブルホームの住民を含め既に70名を越えている。荘厳なパイプオルガンの前奏が始まった。3)やがて早朝礼拝がすみ、礼拝堂に隣接する家庭菜園から露に光る白ネギと掘り出したばかりのじゃがいもをカゴに抱えた婦人部、実年部の人達がバイブルホーム調理場に入り腕前をふるう時がやって来る。

今朝の味噌汁はじゃがいもの澱粉が溶けだし油揚げと白ネギを包んで特別こくがありおいしい。

本当に神様の与えてくれたものは有り難い、そしておいしい。

4)この新川西聖書教会は今から約20年前に教会10周年記念事業の一環として建設計画が持ち上がり、この20年に宗教法人として又教会規模の目を見張る拡大と相まって昨秋献堂式を済ませ、今春バイブルホームと牧師館が同時に完成したものである。

5)男性会員のEさんは、20年前の川西聖書教会は民家を借り上げていたが4Kの狭い部屋は一部15名前後、二部25名前後、三部3名前後の集会で、時に愛餐会などで40〜50名集まると立錐の余地がなく床が抜けないか心配だったと懐かしそうに語ってくれた。

6)又、当時建設計画を会員に説明したが、何の夢を見ているのよ、何億もの金をどうやって集めるのよ、私たちの負担では自分のローンもあるのに到底無理だ話よ、などとつぶやかれたと言う。

7)しかし牧師を中心とした信者の周到な建設計画案が再三再四提示され、次第に皆んなの理解が得られていった。

しかし、何よりも自分たちが建てるという気持ちからではなく、神にくり返し祈りくり返し祈り、皆が火となって熱く燃え続けた結果が今の新川西聖書教会に生まれかわったのだと聞かされ、私には次の聖句が浮かんでくるのでした。

「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1章37節)  (A・D.2013年11月 主日) 

 

 

  彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。

(ヘブル人への手紙 11章16節) 

  私たちが、天の故郷へ向かって進む道、これが教会生活です。途上嵐もあれば寒波、熱波も、上りもあれば下りもあるでしょう。主(Lord・ロード) に向かって重荷(load ・ロード) を負って進む道 (road・ロード) です。この道を進むためには聖書というガイドブックが不可欠です。この道を歩んだ人々の記録が聖書に残されています。中には道を逸脱した人、途中で遭難した人々もあります。しかし、聖書に従った人々は安全にこの危険な道を踏破したのです。

教会の使命は一人でも多くの人がこの道を通り、安全に、確実に天の祝福に至ることです。そのために、主イエス・キリストが教会に託された宣教命令の中には伝道と礼拝や信徒の弟子訓練以外に、多くの使命が含まれています。

その中には御言葉を正確に教えることがあります。この世の価値観に支配されない厳密に聖書に立脚した教えです。乳幼児から熟年までの長さと政治、経済、科学など広い分野の研究と教育を行う機関も必要でしょう。

また、その教えと理念をを実現する政党、企業、農業などの団体を組織することも必要です。人間の誕生から天国への召しに至る一切を健全なものとするために病院やカルチャーセンターのような施設もいるでしょう。

さらに、聖書の隣人愛を実践するため、生活に困難を覚える人々や熟年者の自立を助ける国境と文化を越えた福祉事業も教会の使命なのです。

教会が、この地上になすべきことは多いのです。地上をはるかに離れた天の故郷への道は遠いでしょう。教会の地上の使命の道も遠く感じます。しかし、一歩を進め、それを繰り返せば確実に目的地に至るのです。

主イエス・キリストが十字架を負って進まれた道が模範です。主の道を重荷を負って一歩を踏み出す勇気を持とうではありませんか。        

 主の1993年11月7日  川西聖書教会 牧師 森脇章夫