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さてさっそく私の本音をここに記したいと思います。

きっと、この本音をご覧下さる方々のほとんどの人に失望を与えることを最初にお断りする必要が在るでしょう。

なぜなら、私がクリスチャンになって31年、7年間の神学校での学を終えて牧師となって、早21年目を迎えました。その間、欠かすこと無く聖書を原文で学び続けてきた今、の本音だからです。

牧師の本音。それは一言で言って「聖書に記されている事は全てことごとく真実だ。」と言う当たり前の事です。

しかし、ここでいくつかの衝撃的な事実を公表しなければなりません。その第一は

事実第一・・残念なことに「日本語に翻訳されている聖書は原文と似ている様でありながら全く異なるものである」と言う紛れもない真実です。

事実第二・・この様な偽りが横行しているのは一つの真実を明示しています。それはその様な翻訳を「聖書」として公にして、教典として採用している諸教会やその周辺団体の多くが聖書の教えから全く離反しその腐敗と欺瞞が普遍的に存在していることです。

事実第三・・多くの心ある牧師や神学者はその事を熟知しているか、あるいは薄々気付いていても、その様な旧態依然としているキリスト教界との軋轢を恐れて沈黙しているか、あるいは間違っていると分かったうえで本心を偽った行動の選択を余儀なくされていると言うことです。

そして、以上の三点が存在すること自体が、「聖書の基本的主張であり最も聖書原文に忠実な信仰告白であるウエストミンスター信仰告白の主張する所です。

・その根本の原則は次の点の認識に因るものです。

全的堕落

聖書が人間について言っていることは「全ての人間は底知れぬ程に邪悪である」と言うことです。もちろん私の事であり、今これを読んでいるあなたの事です。「いや少しは良いところも在る」と思っていたり、そう願っていることは知っています。しかし、聖書の主張は微塵の疑いなくそう記しています。さらにそれが努力や信仰 による改善はこの地上では望み得ないしまた絶対に完成しえないのです。

信仰義認

聖書が主張しているのはこの様な全的に堕落した人間、言い換えるならば全人類は、自らを動因とするあらゆる行為によっては救われ得ず、只神に選ばれたもののみが主イエスキリストの十字架の贖いに信頼 する事を告白する事によってのみ、その罪があるままの状態で、全く罪が無い事を意味する「義」に勘定とされるのです。 このことが信仰義認の真意です。ですから聖書原文は義認の用語としてギリシャ語のロギゾマイ「真実はそうではないのだが便宜上義と勘定する」という意味の会計用語を用いているのです。

聖書信仰

すべてのキリスト教会は、どのような信仰告白であれその告白や教会形成の正統性を表明する手段として、自分達の教会が聖書聖典に忠実であることを表明しています。そして、 当然のこととして異端を含めたすべての教会と名のつく団体は現在手にする事の出来る旧約聖書ヘブル語原典と新約聖書ギリシャ語原典が神様の霊感をうけたそのままの状態でほぼ完全に保存されていることを認めています。しかし、問題はそのあとの聖書の読み方に有ります。

聖書の読み方に関してですが誰でもが原典を読む事が出来れば問題は生じないのです。しかし聖職者を初め多くの人々が原典の知識が無く、翻訳 者の手による自分の国の言葉にされた聖書に無条件に頼りきっている点に大きな問題があるのです。

歴史をふり返れば一目瞭然ですが聖書翻訳の当事者そのものに大きな問題があります。

ご存じの通り聖書が原典以外の国の言葉に本格的に翻訳された最初はヒエロニムスによるラテン語「ヴルガタ訳」です。彼は、キリスト教を大迫害していたローマ帝国の最初のキリスト者皇帝のコンタチヌス大帝の 死後 、混迷するローマ帝国のヴアレンテイニアウス帝の要請とその狭間で混迷する時のローマ教会のダマスス監督の要請でラテン語訳聖書の大改訳作業に取りかかりました。しかし名ばかりのクリスチャン 政権であってたローマ帝国側やローマ教会からの執拗な干渉を排除する術がありませんでした。聖典には含まれない外典や偽典も強引に含ませられてしまいました。そればかりではありません 、「皇帝や教会の監督の権能があたかも神から直接与えられたものである」という意向にそった翻訳となる様に、翻訳内容にまで沢山の介入を余儀なくされてしまいました。もし、逆らえば翻訳の承認はおろか下手 をすると処刑ものでした。

続く聖書翻訳は英国のウイクリフやボヘミヤのヨハンフスの宗教改革前夜の取り組みです。いずれもローマ教皇やそれぞれの国王の利害に反するものとして、訳された聖書は悉く焚本にされ一切日の目を見る事はありませんでした。

  そして、マルチンルッターによってようやく1517年宗教改革の火蓋をが切って落とされました。それまではラテン語の聖書丈が公認の聖書でしたが、ここに聖書が初めて原典からドイツ語に翻訳されたのです。しかしこの翻訳も時のザクセン選定侯フリードリッヒの庇護の元になされ ました。当然そこには政治の影が色濃く影響する翻訳となってしまったのです。ジュネーブ宗教改革を進めたカルバンは翻訳には手を着けず、続く訳はイングランドのジエームズ王の庇護の元に進められた欽定訳(KJV) 英語聖書です。当然のこととしてこの翻訳も 政治の介入から自由ではあり得ませんでした。

 身近な所では熱心なクリスチャンとされている、先の中国国民党の指導者、蒋介石による介入もその一例です。(詳しくはこのリンクを参照)

 ここまで記せばもう十分でしょう。今私達の手元にある翻訳は明白にその時代の政治からの強力な圧力の影響下に翻訳されて存在しているのです。その無言のあるいはあからさまな圧力によって 翻訳は原文から離れ、時の教会や国家の支配者であった権力者の意のままに改竄されて訳され、現在に至っているのです。 そしてフランス革命後に宗教と(教会)と国家の分離が宣言されている近代国家の時代にいたっても、過去のさまざまな政治の介入の影響が排除されず、その上に更に偏狭なさまざまな国家や民族の利害に加えてさまざまな政治形態、教派や宗派の利害の影響をもろに受けて聖書翻訳はなされ ました。そのような経緯を経て、今日のそれぞれの国の言語に翻訳された聖書は存在しているのです。

ギリシャ語

さて、ここまで記せば何故ギリシャ語やヘブル語の原典で聖書を学ぶ必要が在るのかが明白でしょう。

政治や民族、教派、宗派の改竄の影響を除いた神様の記された意志を学ぶ為に、どうしても聖書言語の知識が必要なのです。

  聖書言語として、旧約聖書の記されたヘブル語はともかく、新約聖書の記されているコイネーギリシャ語は大変優しい言語です。誰でもちょっとの努力で簡単に原文に親しむ事が出来ます。

  新約聖書が記された当時は誰もが自分の母国語の他にこのコイネーギリシャ語を理解出来た事実からも明白です。それも、教養のある人々ばかりではなく、全く無学な使徒たちによって通訳も介さず宣教が直接ギリシャ語で語られた史実からも実証されます。

 もちろんこれを文書化するには高い教養と正確な言語知識を必要としました。パウロですら筆記者を介したのは事実です。しかし、記された使徒達のギリシャ語の説教を理解する為にさほどの知識は不要です。わずかの基本原則を学べば誰でも簡単 に聖書原文を理解することができます。小学校1年生程度の理解力が在れば十分可能である事を実際の小学1年生と共にギリシャ語を学んで確認しました。 また高等小学校しか出ていないし英語も分からないしその上、すっかり頭が固くなったいわれている、75歳の女性も原文に親しむのに、さほどの困難はありませんでした。

おすすめ

ぜひ教会ぐるみでそして個人でこの分かりやすいギリシャ語に親しみ、聖書の教えを自分のものとされる様におすすめいたします。

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2018年06月23日 19:41:44 更新