いつもニコニコ温和な御主人

2000年1月25日(火)

< 幸平のふぐ >

ふぐについては、永年探究を続けてきた。
値段はピンからキリまであり、もちろん値段相応という例も多いが、値段に関係の無い内容の店もある。

「多古安」は、味はともかく、2人で5万円という値の高い事の印象が深い。
いくら考えても、その半分くらいの普通の値段の店の味との違いが分からない。しいていえば、食事の最後の雑炊の折、親父さん自ら部屋へ来て、念入りに雑炊の炊き工合をみてくれたことぐらいだろーか。。部屋も落ち着いた作りではあった。

その後、道頓堀の「新明石」、花園の「奴茶屋」、千日前の「太政」、日本橋の「浜藤」東心斎橋の「浜久」などいずれも味良く、値段も一人15,000円前後で、リーズナブル。

しかし、何となく部屋が落ち着かないとか、はやり過ぎて慌ただしいとか色々あって、何度か行く内に、いつの間にか「もっとええとこ」を探している。

そこで、我がグルメノートの二重丸印となると、千日前の「幸平」ということになる。
(ノートのランク分けは、
◎ ○ △ x  の4段階)

一見さんは全くなく、昔からのお馴染みさんだけなので、落ち着くし、混むことは無い。
おかみさんと若夫婦が、直接もてなしてくれるので、暖かみがある。
今は亡き親父さんの代からのル−トで、良いふぐが手にはいる。
というわけで、今はここが一番、今夜もここで舌鼓をうった。

それにしても通りに面した入り口の、のれんには「天ぷら幸平」としか染められていない。「これでいいの? ふぐも、スッポンも、ハモ料理もやってんのに〜」と聞けば
「そんなもん書く必要おまへんがな。お客さんはみ−ーんな予約して来てくれはるおなじみさんだけでっさかい。あんなもんのーてもよろし。」と、おかみさん。横で若奥さんも笑っている。

現御主人は、もう小学校の時からこの店を継ぐ気持ちを持っていたそうだ。「子供の言う事だから、」と、アテにしてなかったが、 中学生になってもその気持ちは変わらず、高校生になっても大学生になっても、「幸平」を継ぐ意志は固かった。だから大学へ行く必要もなかったが、取りあえず・・・と行ってみた大学で、このすばらしい若奥様との出合いがあったそうな。

おかみさんいわく、この子の大学生活は、「このお嫁さんと巡りおおた、と言うだけで、ものすごい値うちがありまんねん。なーんも勉強なんか役にたたんでよろし、この人見つけたいうだけで充分!」という大のお嫁さんびいき。

ところで、九州出身の友人に言わせれば「大阪では、ふぐふぐゆうて騒ぐけど、ぼくら子供の時分は叉ふぐかー、ゆうていっこもおいしいと思わんかったでー、今もその気持ちが残ってて、食べたいと思わん」と。。

これはおかみさんによれば、「地元ではそこそこのふぐしか手に入らんし、おばんざいやからねー」ということだ。
そして東京でふぐ料理がやたら高くなるのは、手に入りにくいからだ。
徳山沖、東シナ海、玄海灘のふぐが、下関に集められセリにかけられる。そして高級品の水揚げの7割は大阪の業者が押さえ、残りが東京へ行くのだが、そんな訳で結局、築地、赤坂の料亭ぐらいにしか回らず、必然的に大阪の2倍くらいの値になってしまうようだ。

今日も美味しいふぐを食べ乍ら、「大阪に住んでて良かったね〜〜」と口をそろえたものだ。