平安家中庭

2000年3月16日(木)

< 旧平安邸 >

多田銀銅山は、川西市、猪名川町、宝塚市、能勢町、豊能町、箕面市にかけて鉱脈が広がっていた。

採掘は平安時代後期に能勢町の地域で始まり、最盛期は桃山時代から江戸時代前期にかけてである。

我が家から10分くらいの猪名川町銀山を中心に山下町下財も製錬町として栄えたという。中でも平安(ヒラヤス)家は、明治以降も製錬を行い、大正時代には新たな製錬所も建設し、昭和10年頃迄操業していたそうだ。

身近な事ゆえ、興味を覚えて訪ねてみた。
旧平安邸は、現在『川西市郷土館』として一般に解放されている。

数寄屋造りで、中庭を取り囲むように蔵4棟、離れ座敷などがああり、その外側には米倉、納屋が1列に並んでいる。

大きな屋敷で、門をくぐった時から時代劇映画のセットに入り込んだような気分がする。
大正中期に建てられたそうだが、そうするともう80年以上経っている。とてもそんなふうには見えず、どの部屋も美しくすばらしい。

10M継ぎ目のない松の木の廊下の板、奥座敷きに飾られた大きなひな壇、それに家の外回りのとゆなどは全てふんだんに銅が使われているのが「サスガ−」と感心させられた。

どんどん開発されて行く住宅地の中にこうして昔のままの世界が残っているのは嬉しい事だ。