2000年5月11日(木)

< 武雄温泉 >

帰りは大分空港ではなく、長崎まで足を延ばして乗る事にした。
その道中、何と佐賀県にて『武雄温泉』なる所を発見!
あのかわいいタケちゃんの名前そのものの・・・

これは素通りする分けにはいかない!それで急きょ「武雄北方インター」で出た。何とそのインターから武雄温泉迄、武雄武雄・・の大安売り!
いや、道路に沿ってあらわれる標識には武雄小学校・武雄中学校・武雄高校と続き、武雄カントリークラブまである!

さてその武雄温泉、1200年も昔から名湯として親しまれて来たと言う立派な温泉だ。入り口には「武雄温泉楼門」なんていう朱塗りの楼門が聳え、佐賀県の重要文化財に指定されている。

元湯・蓬莱湯・殿様湯・家老湯・鷺の湯(露天)があって、どれにしょうかと迷いつつ「元湯」に入る。
明治8年に建立されたこの元湯は、高い天井と広い浴槽のゆったりした雰囲気の中に、レトロな浪漫が漂い、懐かし〜い気分になれる。
壁には「洗い場で横になって寝ない事、他の人の迷惑になります」なんて言うはり紙を見て吹き出してしまう。

実際入浴している人を見回すと、近所の高齢のおばあさん達がのんびりとお昼のひとときを過ごしに来ているようで、床に寝そべる人が居ても不思議でないアットホームな雰囲気だ。
ゆったりお湯につかった後、一枚一枚「武雄」という文字が焼かれた生姜煎餅を買い、また長崎へと向かった。

ところで、この温泉の案内には興味深い内容が記されているので、その一部を書き留めたい。

 この温泉の発見の年代は明らかではないが、千二百年前、聖武天皇天平年間の風土記に、景行天皇御巡幸当時「郡の西に温泉の出る巌あり」と記し、また神功皇后三韓御視征の途次御不例あり、「神童のお告げ」により御入浴遊ばされ、日ならずして御全快、その効験を御賞賛遊ばされる。
 豊臣秀吉は朝鮮遠征の当時、傷病兵士の「湯治湯」として士、徒士等に区分し、特に湯町の町民に対してと区別の計らいにより標札を作って使用させた。
温泉は昔から武雄領主所有であり、武雄領主専用の「御前湯(殿様風呂)」では、温泉を絹越仕手風呂桶にくみ取っていた。
叉その外に十枚湯(御親類、御家老の専用湯、男女混浴)、三の湯(侍用、男女二壷)、五枚湯(徒士、足軽の男のみ入浴)、三枚湯、二枚湯の二壷(一般の浴場、男女混浴で徒士、足軽の婦人)がある。
 文政9年オランダ国シーボルトが武雄藩通過の際は特に許されて「御前湯」を使ったと記されている。