自分で撮影した遺言テ−プを現像して貰ったところ 

2000年5月23日(火)

< 川の流れのように >

森光子演ずる、女流作家・広沢百合子は、突然東京を捨てて小さな漁師町に引っ越して来た。
始めは、「都会から来た変わり者」と見られて、地元の人には心を開いてもらえなかった。
しかし百合子の前向きな生き方に魅かれて、生きがいを無くしていた老人達も徐々に元気を取り戻し、変わって行った。
彼等は皆、60年前の百合子の幼友達だったのだが・・・
そして癌と宣告されて残された3ヶ月を、好きな人達と過ごしてス−ッと消えて行く。
というストーリー。

いっぱい泣いた。
涙がボロボロこぼれて、鼻が詰まって、口で何とか呼吸をした。

最初に、どっと涙が出たのは、田中邦衛演ずる時計店の店主が、目に拡大レンズをつけて、仕事机に向かって、一心に時計の修理をしている姿を見て・・・

私の父は、町で小さな時計店を営んでいた。私が子どもの頃は、時計は修理をして大事に使うものであり、今のように使い捨てではなかった。

大正4年生まれだが、180センチの身長と、優れた運動能力で、三段跳びの選手として活躍していたという。しかし足を傷めたので商売を始めたと言ってた。

その大柄の父が、いつも家に居て、店の机に向かい、片目にあの拡大レンズをはさんで仕事をしていた。私たち子ども3人をなめるようにして慈しみ育ててくれた優しいやさしい父のそばに居るのが好きで、良く横で眺めていた。

2ミリくらいのネジ・糸のような細さのヒゲゼンマイ・不思議な形の平たいもの・・・

分解された小さな小さな部品が、いくら見ていても見飽きず、そして叉いっぱいに広げられていたのが、先のとがったピンセットで、次々組み立てられて時計の形になって行く。

田中邦衛さんの姿が、その父の姿に重なり、胸にせまったのだ。
そうして涙腺のゆるんだ所で、老人達の人間味溢れる交流を見るにつれ、またボトボト涙が落ちる。
  えらい涙もろうになってしもたわ・・・

それにしても、森光子さんのイキイキした表情、若々しい姿!
どうみても80才とは思えない!!

その森光子さんの最後のセリフ(元気のある内に自分でビデオテ−プに録音して)              人は、人生の最後の場面を探しながら、生きているのかもしれません。私は、故郷の桜と幼なじみを選びました。間に合ってよかった。
自分の人生の最後の最後に、素敵な思い出が作れて嬉しかったです。本当に、みんな、ありがとう。。