高野山
伽藍の大塔と金堂

2000年6月15日

< 大学のあり方 >

「多摩美は、今どんどん投資して、校舎や設備を増やしているよ。」とニュ−ヨ−クから大阪に滞在中のヨシ。「ヘェ〜〜、学生は減る一方なのにどうして〜?」

「そういう大事な時だから、これから力を入れるんだよ。」
「フ〜〜ン、マいずれにしてももっと一般に門戸を開いて、年輩者や社会人も講議をうけられるようにしないとね・・・最近日本でもそういう学生を受け入れるようになって来たけど、大学の生き残りの為に・・・」

「へ〜、大学が自分の経営問題の為にするの?アメリカとは反対だね。向こうでは、社会人や離婚した女性が、大学で専門の勉強のディグリーを取って、より良い仕事を得る為に、希望して受講をお願いして受け入れてもらうという状態だけどね・・・市や国の援助も随分あるよ。そして取得した資格や専門学問は立派にその人の就職活動売り込みに役立つよ。」

「社会人の為の特別のクラスなんかじゃなくて、現役の学生達と全く同じ様に一緒だよ。」

「いやいや日本では受講者自身が、主婦の教養や、定年後の人の趣味といった程度。単位を取ったからといって、それを役立てる訳でもない。まず社会にそんな受け入れ体制もない。それに一貫した専門のディグリーをとれる訳でもないし〜。会社の研修で、海外の有名校で専門の勉強をするとか言うのは別だけど・・・」

思えば、20年以上も前ニューヨークに住んでいた時、あちらの教育の世界には大変羨望を覚えたものだ。
日本の大学のように高い授業料をまとめて納めることはない。自分の状況に合わせて取得科目数は決めたら良い。受講する科目の受講料だけ払えば良い。
卒業は4年とは限らない。社会人なら、自由になる時間を使って卒業に10年かかっても良いのだ。何年かかろうと、その単位数さえ取得すれば・・・

日本の企業のように、「とにかく新卒者を採用して、入社後教育する」ではなくて、外資系会社では、即戦力が期待されているのだから・・・