2001年8月15日

< 四国へ >

朝7時「佐賀関」発の“国道九四フェリー”で、四国佐田岬・三崎へ渡った。1時間10分1520円也。船上からの佐田岬の眺めは見飽きなかった。

三崎からR197佐田岬メロディーラインを走り、佐田岬半島の半ばにある「道の駅瀬戸町農業公園」にて朝食をとった。とても眺めの良いところに河野兵市さんの石碑が建っている。残念ながら北極で遭難されたが、そうでなければここがゴールだったのだ。

 

大洲からR56を走り、足摺宇和海国定公園の「道の駅・御荘(ミショウ)」にてランチストップ。そして足摺岬まで。なんと足摺岬は、車・バイク・人・・でいっぱい。でもしばし、展望台にて、岩に打ち寄せる波の形をば、ボー‐と、眺めていたのであーる。。
四国の最南端、80m海食断崖である。

 

宿は、高知県西南部「中村」の町。
今から約500余年前、前関白一条教房公が応仁の乱をさけてこの地に下向し、京都を模したまちづくりを行ったそうで、京都風のまちづくりの基本である碁盤目状の街並みや祇園神社・東山・鴨川などの地名に小京都としての名残がある。

市の中心部には日本最後の清流といわれる大河四万十川が流れ、市街地は四万十川と支流の後川にはさまれた形でひらけている。

 


足摺から中村に向かう途中、暮れゆく海岸線はきれかった-!!

 


おいらの絵いや、河童ののれんをくぐって『しばてん』
鮎の塩焼き・かつおのたたき・川エビなんぞで今夜も