2001年11月22日b

< 山下さんの本 >

 

山下さんの本が出来た。『 結願 』
昭和37年に初めてゴルフ場でプレイしたのは、40歳の時。ロングヒッターとして自信もついてくると、一時は日本オープン優勝の夢まで見たが、それは叶わぬ夢と知って「全国ゴルフ場制覇」に宗旨替えをした。

平成8年に「全国ゴルフ場ガイド」に収録されているゴルフ場全てを、おいらが同行の上、打ち歩き終えることが出来、その後は新設コースを巡っている。おいらとは平成7年に出会い、その後エントリーのお手伝いや、プレイに同行したりで、お付き合いが続いているのだ。

東京大学船舶工学科卒・海軍技術大尉・防衛庁海将補という経歴で、世間を渡ってきた人ゆえ、どんなことにも「そうかね。」「どうも。」だけで、頭を下げることはない。一人では回れぬコースを私の友人とともに同行しても、山下さんの大きな態度に大抵は一度で、「もう誘わんといて・・・」と断られる。最終的には同行者は、やさしい清子さんだけとなった。

でも、おいらはそんな山下さんでも、憎めないのだ。72歳で他界した父の事を思うと、山下さんは偉い。81歳になって尚、毎年新設のコースを調べ、全国を周る1年間の計画を立て、それぞれのコースにエントリーの手続きをし、交通を調べ、時刻表を見ながら時間と費用の無駄の無いように考え、宿泊する宿を探し・・・そしてきっちり予定をクリアしていく。家では30年前に奥様を亡くされて以来、家事全て1人でこなしている。

そしてこの度、『結願』の発行。ワープロも使わず、誰の手も借りずに、全国ゴルフ場2,371コース打ち歩き年月日と札所番号、県別ゴルフ場名の一覧を作った。しかもそれら全てのコース、大抵は1回しかラウンドしてないのに、どれを聞いてもはっきり頭の中に記憶されてて、話ができる。

偉いよね--、自立してるよね--、立派ですよ--
だから、助けが要るときには、手を貸してあげたいのよ--
ほうっておけないのよ〜

「わしゃ、したい様にして生きてきた、だから長生きできとる。家内はな、こんなわしのためにいつも周りに気ィ使って、ストレス貯めてきたから、若死にじゃ。」・・・自覚もある。。

そんな山下さんも例の「難攻不落コース・エントリー」の件については、感謝してくれてるようで、本にはこう記されている。(本文のまま抜粋)そして、毎年顔を合わせるたびに「あんたのお陰で全国達成できたんじゃ!」と、言う。

第2章:エントリー奮戦記
『難攻不落の兵庫』p.81

 兵庫県は北海道を別とすれば、現在154コースを擁する日本一のゴルフ県である。よみうりCCの中山省二支配人の紹介で、バブル期以前のコースはすべて問題なく受け入れてくれたが、バブル期の法人接待専用コースが現れてから様子が変わった。

当時は、接待ゴルフ全盛期時代で、既存のゴルフ場はどこも満員、優雅な接待ができるゴルフ場を必要とするニーズから、入場者を制限できる法人接待専用コースが生まれた。
平日でも限られた法人会員の同伴を必要とする規制により、目的がかなえられた。
老舗の名門コースは、始めから常に会員同伴であった。
全国で、私の推定では50ヶ所を上回る法人接待専用コースが開場したが、その大部分は私の壮挙を理解して、支配人自身が会員の変わりに同伴してくれるなど、何らかの方法で受け入れてくれた。
岐阜県の富士C、塩河Cでは接待ゴルフが完全に終わった後、こっそりゴルフ場従業員が同伴してくれたりもした。

そして最後に、難攻不落の兵庫5コースが残ってしまった。全く手がかりが無く、万策尽きて5年間諦めていた時、強力な助っ人が現れた。平成7年11月、東宝塚GCでたまたまゆきずりのパートナーとなった長谷川加奈美さんが、兵庫県ならお任せ下さいと快諾してくれた。

私の苦悩を察してくれた彼女も、その時は親しくしている篠山GCの支配人紹介で充分と軽く考えていたが、その効果があったのは一ヶ所だけ、ほかの4ヶ所は駄目。
引き受けた以上は投げられないと、彼女の大奮闘が始まった。

ゴルフ・テニス・囲碁・料理・ギター・活け花・猫・写真、いずれもプロとしても通用する多彩な趣味を持ち、大型コンピューターを駆使する烈女。
当然人脈は各界に広く、約1年間の準備期間を経て、
関西GC、ザ・サイプレスGC、東条GC、東広野GC、チェリーヒルズGC難攻不落の5コースをイッキにエントリーしてくれ、彼女自身も同行してくれた。
(中略)長谷川さんのお陰で、ローズウッドGCで平成8年度第一回全国ゴルフ場札所巡りの結願を達成する事が出来た。

* 紫色の字の部分は、ゲラを送ってきた時に、「ゴルフもテニスも囲碁も趣味の世界、プロ並なんて大間違い、それに猫がプロって〜?、訂正してください!」と知らせたが「もう印刷しとる。」と言う事で・・・はずかしーー