2001年12月8日

< TSR鈴鹿 >

「アメリカ大陸横断のためには、メカの勉強も必要」という意見に従って、はるばる鈴鹿へ。

ここTSR(テクニカルスポーツレーシング)については、 http://www.tsrjp.com/
お姐ぇ〜さんから、無知なオイラに予備知識として、以下のようなコメントあり。

「こちらのショップでホンダ車を元に、オリジナルのバイクを作り、レースバイクを市販車にし、そしてもて耐では4年連続かなんかで優勝しています。世界GPにも参戦していますし、とてもすごい技術を持った会社さんです。
これってすごいことなんですよ!
HPをご覧になってもあまり良くわからないかもしれませんが、こちらの社長さんはなんと将来的にバイクメーカーになろうとしています。ホンダ、ヤマハ、SUZUKI、カワサキに続く、TSRです。素人レベルのレースとはいえ、この4社を抜いてもて耐で優勝し続けているのは快挙です。」

そのTSRの工場長・島田さんの元で修行するというのだが、、果たして全く一からのスタートのオイラが、そんなスンバラシイ方に直々に教えを乞う必要があるんだろうか・・・? という疑問を抱きつつ、なんだかわくわくしながら鈴鹿に到着した。

お姐さんは、もう着いていた。東京から5時間だって・・・これって、ちっと早や過ぎない?! CBR1100XXで、ぶっ飛ばしてきたんだ〜
ZZ−Rを停めてると、「かなみさーん、今日は珍しく社長さんがいらっしゃるのよーー、運がいいわ〜、普段は東京町田店や栃木もてぎ店、ヨーロッパのUK店と、飛び回ってらっしゃるんだから〜」と、呼びに来てくれた。。 で、即作業場かと思っていたが、とりあえずお店の方へ。。


初めてお会いした藤井正和社長は、、、かっこよすぎる!!!
ソフトな応対、お話の尽きぬ興味ある人生遍歴、幅広いお仕事から得たグローバルな発想、国際的レーサーとしての経験、TSRの驚異的な発展・・・
いやはや「時を忘れて・・・」というのはこの事。

藤井社長のお父様は、Hondaの初代レーサーであり、Hondaの委託を受けてHonda Worldの、レース企画を任されていた。そのお父さんのご苦労を見ていて、「バイクにかかわる仕事はするまい」と、心に決めていた。

大阪に出て、昼間は車のセールス、夜はホストクラブで売れっ子ホスト・・・という生活をしている内、お父様の事業がうまくいかず、店を売り払うという話を聞いた。

で、鈴鹿に帰り車の修理やを始めるも、オートバイの魅力に目覚め、ひたすらオートバイの道を歩む事になった。四輪で、5000万だった売上が、二輪になって一気に2億、3年で10億・・という目覚しい発展。

「ライダーが100人いたら、それぞれに合わせた100のバイクを作ってあげるべき」 「自分で作って、自分で売って、自分で見せる」 が社長のモットー。そりゃ、ライダーにとっては理想的ですよね〜、たくさんのライダーがお店にやって来るはずですよね〜

こんなTSRだからして、一度も社員募集をしたことがないのに、全国から若者がやって来て、門戸を叩く者が後を絶たない。そんな人達の為に、社長の今の夢は、ここに宿泊施設を作ること。
気の済むまでオートバイと拘わっていって欲しいと・・・

これだけのお話を聞けただけでも鈴鹿へ来た甲斐は充分あった。いやはや世の中にはすばらしい人がおられるもんだ!!