2002年2月27日

< 天満宮の牛 >

長年の疑問が解けてうれしい!
天神さんへ行く度に、「牛、たくさん有るなぁ〜、どしてかなぁ〜?」と、気になりつつン十年、自分で調べもせず、と言うより家に帰ると調べるのも忘れ、又行って牛に対面しては、「なんでかなぁ〜」の繰り返し。

ところがだ、、昨夜12時前に掲示板に「あの牛はどういう意味があるの?」と、書いて、寝て、起きてみたらば、ちゃ〜〜〜〜ンと、お答えがありました。ほんの数時間の間に・・・おいらが、寝てる間に・・・グズラさん、ありがとう! 

長年の疑問が解決していくのってものすごくうれしい。いやはや、この年になると、なんでも気になることは一つ一つ解決してゆき、思い残す事の無いようにしたいと常々思っているもので・・・

で、その牛さんのこと・・・

調べました。 投稿者:グズラ  投稿日:2002/02/27(水) 08:45:12 [HOME]
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太宰府天満宮の牛についてこんな記述がありました。
「神牛像(福岡県指定文化財)江戸時代
 菅原道真公は承和12年(845)年6月25日、乙丑(きのとうし)の年に御誕生になりました。
また、菅公は延喜3年(903)年2月25日にお亡くなりになりましたが、ご遺言に「遺骸を牛車にのせて人にひかせず、牛の赴くところにとどめよ」と仰せられ、その牛が動かなくなったところを御墓所と定めました。
それが現在の御本殿の地です。
このほかにも天神さまと牛についての数多くの伝承が伝わっていて信仰の深さを知ることができます。
 文化2年(1805)乙丑の年に奉納されたこの神牛の臥牛像は、ご自分の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めてお互いに撫でさすれば身体健在はもとより病気全快するといわれ、また神牛の頭部を同じように撫でさすれば知恵が付くという信仰がございます。 」

一方北野天満宮の牛についてはこのような記述が
「菅原道真公が亡くなられたのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもので、この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられているところから、いつも人の手で磨かれ、ピカピカに光っています。」

いわれからすると 本家の太宰府天満宮の方が重みがある?

ふ〜む、そうであったか・・・
そうと知ってれば、牛さんの頭、一生懸命ナデナデして来たものを・・・

そうそう、天満宮についても教えてくれたっけ・・・グズラさんは物知りだーー!!!

[69] 天満宮  投稿者:グズラ  投稿日:2002/02/26(火) 19:07:11 [HOME] [返信]
I P:61.121.121.219
私は太宰府の天満宮をお詣りしたことはありますが 北野天満宮はお詣りしたことがありません。

昔 何かの折りに天満宮には2系統あるというような話を聞いた覚えがあります。1つは太宰府天満宮で都へ帰りたいというような願望を聞き届けてくれる天満宮で 大学入試などの願望を聞き届けることで全国的に有名です。もう1つが北野天満宮で これは無実の罪で政敵に太宰府に流された菅原道真の死後 日照りや長雨などの天変地異があり これは道真の怨霊だという事になり 政敵が若くして死ぬとこれも道真の仕業であるということになり あわててその怨霊をしずめるため北野の天神社に祀ったものということです。そのため 太宰府天満宮で合格祈願をし 万一願いが叶わなかったら 世間を恨んだりしないよう北野天満宮にお詣りに行くという話です。
真偽のほどは定かではありません。