2003年11月29日
< 爛柯18周年 >
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「爛柯」創設18周年記念大会。榊さんのお誘いで参加した。
棋力に応じて組み合わせて頂き、2勝2敗。
浅江七段に指導碁もしていただき20目勝てたら、「参りました!」と大きな声で言われて恥ずかしかった。。
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ゆみたんからかねがね噂を聞いていた櫛部さんは、やはりとっても魅力的な人、家田先生の愛弟子だそうだ。梅田駅前第3ビル17階という便利な所にある囲碁サロン「爛柯」。スペースにゆとりがあり、豪華な調度と、窓外の景色の素晴らしさで、とても雰囲気の良いサロンだ。
6畳2間の和室もあり、ここで親睦食事会も出来るし、カウンター、ラウンジでのんびり休憩する事もできる。囲碁書籍やビデオもあるので勉強もできる。会費はちょっと高いけど、会員になるといつでも棋士やインストラクターによる指導対局もできる。すばらしい囲碁空間だ。
爛は腐る、柯は斧の柄のこと晋の時代。衢州(くしゅう、現・浙江省)に王質という木こりが住んでいた。石室山という山に入って木を伐っているうち、一つの石の室(むろ)が目に付いた。
---多分こうした石むろがたくさんあったので石室山と呼ばれていたのだろう。
王質が何気なく石室に入ると、中で二人の童子が碁をうっていた。王質は碁が好きだったので、そっと歩み寄って斧を置いて座り込み、その勝負を観戦し始めた。
王質が夢中になって観戦していると、童子が「もう帰った方がいいだろう。ここへ来てからずいぶん月日が経ったから。みなさい、斧の柯(え)が腐ってますよ」と言った。
「まだ一日も経たないはずのに、おかしな事を言うな」と思いながら何気なく斧を持ち上げようとすると、はたして斧の柯(え)はすっかり朽ちてしまっていた。
王質は驚いて、急いで家に戻ろうとしたが、どうしたことか家の所在が分からない。見知った人もいない。村の様子も一変していた。
通りがかりの人にきくと、自分が山に入ったのはもう百年の昔であると言う。
王質は何がなんだかわからなくなり、ただぼんやりと突っ立っていた。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「爛柯」の意味が、「囲碁にふけって時のたつのに気づかないこと。またはそうさせる囲碁そのもののことも指す。」と言う事を何かで読んだころは、まだ囲碁は「頭の体操」と思うくらいで、実際の面白さを分かっていなかった。でもしかし、最近はまさしく囲碁に熱中すると時を忘れてしまう。
会員制囲碁サロン 爛柯
営業 正午〜午後10時
大阪市北区梅田1−1 駅前第3ビル17F
T/F 06−4796−4115