2004年1月21日


< 亡き人からのメール >

吉田庄治さん撮影:石光寺の鐘楼と椿

昨夜、吉田庄治さんのお友達、堀田昭夫さんからメールを頂いた。
癌で闘病中だった、吉田さんが亡くなられたと・・・

吉田さんは、4年前に「始めましてメール」を下さった大事なメル友
おいらのホームページを見て、色々感想メールを送って下さってた。

50ccのスクーターで、結構遠距離ツーリングもなさってて、そんな写真を送って
くださったり、囲碁ネット対局を所望されて、楽しんだり、、

ホ‐ムページも作ったと、連絡くださったり・・・
でも、この3年間はご病気で入退院を繰り返しておられた。
その都度、「ちょっとbody repair のため 2〜4週間ほどメールボックスを 
半閉鎖(自身で扱えない状況です)いたします。」とのメールが届いていた。

でも、いつも数週間後に「元気で戻ってまいり、元の生活に復することになりました。
 さっそくメールを再開させていただきますので、従前に増して宜しくお願いいたします。」
と言うメールを頂くので「入院」とお聞きしてても、あまり深刻に考えていなかった。

だから、堀田さんから連絡を頂いて、大変ショックで、大変悔やんだ。
「そう言えば、ここしばらくメール頂いてなかったのに、こちらからお体の具合、
お伺いもしてなかった・・」

それで、夕べは、今までに頂いたメールをひも解きながら、深夜まで
いろいろ懐かしんだり、偲んだりしながら眠りについた。

ところが今朝、メールボックスにご本人の名前でメールが届いていた!!
「あれは夢だったんだ! 噂をすればホラ・・・」などと思いながら開いたメールは
ご子息からのものだった。吉田さんのその後の闘病のご様子や、最後のご様子を綴ってくださっていた。そして「父のメールのお相手をしてくださっていたご友人に、履歴などから二男わたくしの   勝手にて、お知らせさせていただく次第です。」とあった。
おかげさまで、今夜吉田さんのお通夜に伺い、お別れを告げる事が出来た。

吉田さんが、ご自分の小学校の同級生の堀田昭夫さんをご紹介くださり、その堀田さんと、Draさんは、この数年間ずっとネット対局を続けておられる。お互いに1度もお会いした事もないのに・・・

ネットの不思議なご縁だ。でも心はほんとに通じ合っていた。
たった1つの「始めましてメール」からこうして、仲間の輪を広げてくださった吉田さん、
どうか、安らかにお休みください。