1999年9月18日
<インターネット>
乙武洋匡さんの「五体不満足」に、書いておられたことから一部引用させて頂く。
ボクは障害を持ってはいるが、幸いにして元気に外を飛び回っている。
しかし、ボクと同じような障害を持っている方のなかには、肉体的・精神的理由によって、
なかなか家の中から出られずにいる方もいる。そのような方々にとっては、ボク以上に、
このコンピューターというツールが大きな武器となってくるのではないだろうか。
このインターネットという、家にいながらにして世界中を飛び舞われるツールは、
家のなかに閉じこもることを余儀なくされてきた人々にとって、画期的なものだろうと思う。
私も以前からそう思っていました。
自分がコンピュ−ターを使い出したのは、趣味の世界であったが、知れば知る程予想以上の便利さ・樂しさに取り付かれ、「これは便利!これで私の老後も退屈せずに暮らしていける!!」と喜んだものだ。
脳血栓以来、しっかり歩けなくなった父や、足が弱くなって、自分で遠出をすることが出来なくなった母などを
間近に見ていて感じたのは、「外の世界にふれる機会が少なくなると、視野が狭くなってしまうな〜〜」ということだった。
ところがどうだろう、パソコン一台あれば、
・常に世界中の情報を得られる。
しかも、本や雑誌など以上の最新情報が手に入る。
・世界中の人と、一瞬の間にメ−ルのやり取りができる。
「ファックスは、ごく便利!」と思っていた時代はもうはるか彼方へ、今やファックスのために字を書くのでさえ
非常に不便を感じる。
もちろん、それが全てではない。 ゆっくりお便りしたい時には、毛筆で手紙をしたためるのだが…
・調べたいことは何でも検索できる。
調べたいことがある時、慌てて本屋さんや図書館へ走らなくても良い。今や大抵の事はネットで探せる。
こんなことは今さら私が云うまでもなく、このペ−ジを御覧頂いている以上、皆様には百も御承知の事。
しかし、しかしだ、友人との話のついでにそんな話題が出ると、頭から「私はキカイに弱いから…」と否定される人の多いこと!
勿体ないな−−と思ってしまう。
少し長くなってしまうが、以前日経「ココロジー」の欄に、岡本浩一氏(東洋英和女学院大学教授)が書かれていた文章を又引用させていただきたい。
自分が常々思っていることを、ハッキリと文字で眼にすると自分の考えが、より明確になり「そうなのよ、そうなのよ!!」ととってもうれしくなってしまったので………………
ワ−プロ、パソコン、電子メ−ルは他人任せと決めている人がいる。このようにコンピューター・リテラシー (コン ピューターによる読み書きの能力)の低い人は本質的に能力主義と相いれないハンディを抱えていることを自覚 すべきである。・・・・(途中略)・・コンピューターを覚えるくらいの自己変革から逃げる人の人格には本質的な消極 性や怠惰が存在しており、現時点で有能な人であってもやがて発想に独特の消極性や無理が生じて来る。・・・
年齢を理由にあげる人もいるが、・・・新しいものを見れば「触ってみよう」「試してみよう」と思うのが自然なこ とで、それをしない人は、強い好奇動機を上回る負の動機を持っていることが考えられる。・・・
失敗回避も重要な動機に違いないが、これが強すぎる人には経営戦略上の独創は望めない。
他者と比べられたくないという動機、社会的比較回避要求とでも名付けられようが、これが強すぎる人も、能力主義 には不向きである。
「キ−ボ−ドをごちゃごちゃ使っていると考えがうまくまとまらない」という人もいる。しかしこれは不慣れのため で、慣れてしまえば実は逆である。自分の考えを筋道にまとめたり語句の修正をするのが樂なため、メモから最終文書が 連続的に作っていける。・・・・・・・・・
社長や重役が運転手を必要とするのとは事情が異なる。コンピューターリテラシーを部下に頼る人がそのままで能力 主義を勝ち抜こうというのが無理になる時代が数年後くらいにやってくるのではないだろうか。
それに付けても思い出すのは、昨年次女の結婚披露宴での事。新郎の直属の上司が、御挨拶をしてくださった。
「いやあ、この新郎なくして今の私の地位はございません。彼がコンピュ−ターには詳しいので私はすっかり彼を頼っております。…」と申されたのだ。
これには、隣席の長女が眼をむいてびっくりしていた。「さすが日本の企業やね〜、あんな言葉が許されるなんて〜〜。外資では考えられないことよ。自分の無能力を隠したいならともかく、いかに新郎を誉めるためとはいえ、堂々と人前であんな発言が許されるなんて!!うちの会社やったらクビもんよ…」と。
ちなみに長女も次女も実力重視の外資企業に勤めている。