Fractals Dr. Mandelbrot
Fractals

Return to Top page   

Originated: 2002-10/31, Last updated: 2002-11/01,11/12,2002-01/07

2002年10月31日、日本科学未来館にてマンデルブロー博士の講演を聞きました。 博士は、椅子に座って講演されました。通訳の大学教授は、要所を翻訳してくれ、理解が助かりました。 博士の話す英語はもともとNative Speakerではないためか、もちろん巻き舌でもなく、結構分かり易い気が しました。聴衆は学校関係の方が多かった様子でした。高校生も何人か目につきました。 なお、講演後の懇親会では、マンデルブロー博士ご夫妻、講演を準備された何人かの方々や、 そして全く初対面の方々と親しくお話できた事は私の最も大きな喜びでもありました。(下記) 講演会での話の趣旨は、フラクタルを通して科学教育、特に数学教育に子供達を如何に興味深く 参入させるか、と言う感じの講演で、最後は質問者の質問に答え、生命科学への応用が 示唆されましたした。 What is Fractal ? という知識を求める類のものではありませんでした。 話はおおよそこんな感じの物でした。 私のメモ書きによれば、 ・今までの教育は、工業技術もそうだが、smoothなものに着目し、かつ教えてきた。Cold & Dry であった。 ・例えば、習ってきた幾何学での三角形、四角形、円錐、円柱などを見よ。皆無味乾燥である。 ・smoothでなくroughなものこそ、そこに人間味あふれた何かがあるのだ。 ・Natureはsmoothなものは少なく、むしろroughなものの方が多いのだ。 ・写真を撮ったとき、そこにスケールが無いと、その自然の大きさが分からない。 ・どんな見方をするかで、そのかたちというものが認識される? ・温度のmeasureはガリレオが数世紀前に考え出した。 ・roughnessをどうやってmeasureしようか。 ・カリフラワーの写真を見せて....self similarity と言う概念が良く分かります。 ・シェルピンスキーの図、樹枝の図、雪片の図、仮想の島、、、様々な自己相似系の図示あり。 ・木の枝や、血管の樹枝状の形は、生命が最も効率よく外界からエネルギーを吸収する形である? ・国境の長さというものを考えてみよう: ・ポルトガルの言う国境の長さとスペインの言う国境の長さは、両者の主張が異なる!! ・roughness ,drunker's walk, random walk、ブラウン運動、irregularity、、、、 ・今の中学高校では、大昔に発祥した数学を教えている。新しい数学は教えていない。 ・CGの島の次元は、4/3です。この理解は難しいと思われるが、簡単なのです、と。?? ・ユークリッド幾何学では表現できないが、カオス幾何学では表現可。 ・パーコレーション(4/3次元) ・DLA(拡散律速成長)は、Fractal幾何学から理解可能。 ・turbulance乱流。北斎の絵:彼は、ものの相似的な形を既に感じ取っていた、と。 ・White noise、株価変動を表現することも研究してきた。 ・Multi Fractal Model なるmodelあり。 ・13歳の少年が彼の先生のところにきて言った?Fractal図形を描きたい、と。  そのために複素数を学ぶ必要がある。  その教師は、学年としては非常に早いがclassとしては教えることにした。 ・米国のclass崩壊が,これで歯止めがかかった?? ・学生の心に訴えることができてうれしい。 ・1時間教えるだけで、その結果その人の今後の生き方に大きく影響する?? ・M0とM という、2つのMandelbrot集合がある。その証明は、今後何年もかかる?難しい。 ・Mandelbrot集合からJulia集合へ。 最後に、Goethe のFaust にある、Mephistophelesのことばが英語とドイツ語で示されましたが 忘れました。 「わが友よ。全ての理論は灰色にして、命あるものは緑の息吹をなす。」???(←私の勝手な、解釈です、、、) 最後に花束贈呈にて終わりました。 講演後、隣接するラウンジにて(50〜60人程度か?)懇親会がもたれました。 博士が少し休まれている間に、例によって先行して乾杯の練習を行いました。 懇親会場には知っている人は、絶無に近かったのです。が、たまたま近くに立っておられた方から ビールを注いでいただき、話を始めるキッカケを得ました。何でも、株式変動にFractal理論を応用されて おられるご様子でした。学校の先生か、と思っていたのですが、ビジネスマンであることに驚きました。 その後、博士ご夫妻が入場されました。マンデルブロー博士の奥様と話をしていたとき、知ったのですが、 彼はこの講演に先立って、IBMの大阪事業所や天城ホームステッドに行かれ講演されたそうです。私が30年 勤めていたのだ、と言うと、彼は35年勤めていて、今はエール大学に居るといっていました。 彼自身はFractal図形は自分でコンピューターを使うのでなく、考え方を指示して人に描かせている、 とのことのようでした。 博士は、ビジネスマンと言うより、教育者・学者という感じで、大分高齢のおじいさんといった感じを 受けました。奥様は、若々しく、箸の持ち方も「慣れていない」と私に言われたものの、いなり寿司など、 結構上手につまんでいました。 此処かしこで話に花が咲き、Fractalや学校教育のあり方など、やや硬い話が話の中心でした。 博士は、皆さんにかこまれての話し、サインやら写真やらで、引っ張りまわされていました。 さぞや大変だったろうと思います。 博士ご夫妻に挟まれての記念写真です。 そして、今回の講演会を企画実行された方々の影のご苦労も大変だったろうと拝察いたします。感謝です。 なお、この講演会の準備は10名余りの方々が、本来の仕事の傍ら、専らmailを使って、連絡し、準備を 行ってきた、とのことで、本日初めて顔をあわせたと言う方々もおらる、とのことでした。よく これだけorganize出来たものだ、と感心します。 Fractal理論や図形がこの世に出て20年以上も経っているので、日本にはFractal学会なるものが既に あるのかと思っていました。しかし案に相違して、本日の会合が記念すべきその第1回になるだろうと の衆目の一致するところでした。 新橋方面へ帰る「ゆりかもめ」の料金の高さには、皆さん不満をもっていました。 乗る人が少ないためか、などと話していたら、プラットフォームに入ってきた列車はなんと 夜の9時過ぎでも、満員ではありませんか。 近くのどこかで若い人向けのイベントでもあったのでしょうか。 三々五々「樹枝状」にわかれて、皆さん家路につきました。 以上