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万葉の思い出


Link to大阪大学萬葉旅行之会 Last Updated : 1998-1/1,3/22,6/23,10/11, 1999-9/05, 2000-1/08,3/14, 2007-1/06
1998年1月1日 記        新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事 (大伴家持、万葉集、四五一六)       今から30年余前、浪人して大学生となりました。 教養過程は「待ち兼山」という      風雅な名前の丘の上にある校舎で、国文学のご担当は犬養孝先生でした。       現在でも授業風景をありありと思い出します。      一番前の席に座って一生懸命先生の名講義に聞き入りました。  閉口したのは、先生の講義に熱が入って来るとツバキがたまに飛んでくる事でした。      そう、習ったのは言うまでもなく、その道の第一人者、犬養孝ご本人の「万葉集」でした。      授業は、佐々木信綱編「万葉集」〈岩波文庫)を使って行われ、今も手元に持っています。      学部、教養を問わず 100名前後の学生が参加しての「万葉旅行」と称する先生の企画があり、      年に何度も奈良を中心として、あちらこちら、1200年前の「万葉の風土」に赴きました。            先生がこの歌に対してどのような解説をされたか、さだかには覚えていませんが、      「雪が降り積もるように、そのように今年もよいことが重なって欲しい」      ということではあるが、本当は逆境にあっての願望を込めている、と習ったような気がします。       (「いや重け 吉事」は「いやしけ よごと」と読みます)     
1998年3月22日、2000年1月8日再掲 石激る垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも (志貴皇子、万葉集 巻八、一四一八) これも、当時習った歌です。 私の愛唱歌の一つです。      早春の、万物が命を燃やし始めようとするその一瞬の情景を、高速度カメラで撮影したような感じがします。        早春の日光を受けた飛沫が、滝の上の岩がごつごつしたところを飛び散っています。        そして、岩の間(「石」は「岩」の意)から「ワラビ」が芽をだしてきました。        蕨には、キラキラ光る水しぶきがかかっています。        こんな自然の情景を詠んだものです。        何かしら、こころがはずむ様なうれしい出来事があったときの歌のようです。        1200年前も今も自然を感じるこころは、同じですね。         (「石激る」は「いわばしる」と読みます)
1998年6月23日 石麻呂にわれ物申す夏痩せによしと言ふものぞ鰻とり食せ (大伴家持、万葉集 巻十六、三八五三) 今から1200年も昔の人々は、すでにウナギを食していたことがうかがわれます。      やせた石麻呂をからかっている歌です。この反歌があったとおもいますが思い出せません。      近い内に見つけだして、追記予定です。

1998年10月11日 記 石激る垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも (志貴皇子、万葉集 巻八、一四一八) 98年3月22日に掲載した歌です。      98年1月1日に掲載・ご紹介した犬養孝先生が、先日お亡くなりになりました。      98年10月11日の朝日新聞の天声人語に、この歌のことが      皇后さまの読書についてのご講演に関係して、言及されていましたので、      このまま見過ごす気持ちにもなれず、再掲載いたしました。      鎮魂の歌の様なものです。当時、万葉集の講義の教室では、学生は皆先生と共に、      「犬養節」で、古代人の心の歌を歌ったものでした。もう先生の声は聞けなくなりました。           なお、皇后さまのご講演について、天声人語の一文をここに引用させていただきます: ▼講演で皇后さまは、本から得た「喜び」についても語られた。         「それは春の到来を告げる美しい歌で、日本の五七五七七の定型で書かれていました。         その一首をくり返し心の中で誦していると、古来から日本人が愛し、定型としたリズム         の快さの中で、言葉がキラキラと光って喜んでいるように思われました」▼「詩が人の         心に与える喜びと高揚を、私はこの時初めて知ったのです」。             

1999年09月05日 記 あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る(額田王、万葉集 巻一、二〇) あまりにも有名な歌ですが、 万葉の時代の「袖振る」は、「恋の意思表示」であったようです。        大きく振れば振るほど、恋心がつよい、、、       好きな人には、ジェスチャー大きくアッピールするのは、今も昔も変わらない様です。  又、「袖を返す」と言う語もあります、巻十七、三九七八に、大伴家持の恋情の歌、 「..しきたへの袖かへしつつ寝る夜おちず夢には見れど...」と、 袖をうら返しにして寝ると、恋しい人を夢に見る、と昔のひとは       思っていたようです。            

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