白樺(ニューヨーク)

1999年11月15日
 

< 地上げ屋 >

母は、大阪の町なかで一人暮らしをしていた。
家の前は、一日中車が多く、家の下には地下鉄が走っている。
何とも騒々しい所なのだが、生まれた時から都会育ちの母にとってはその方が落ち着く様だ。

毎日、近所の人達と顔を合わせ、ちょっと立ち寄ったり、寄られたり。
入り口のドアもどこの家も開放的で、誰でも気軽に出入りする。

家の前にバス停があり、数分歩けば地下鉄にもJRにも乗れる。
歩いて五分以内の所に、ス−パ−、郵便局、銀行、商店街、内科医院、外科医院、歯医者がある。
何の不自由もなく満足して暮らしていた。

しかし、ひとり暮らしになってからは心配なので、しょっちゅう電話で様子を伺い、月に2〜3度
は車で送迎して、郊外の我が家へ遊びに来ていた。

当方としては、「普段騒々しい所に住んでいるから静かな我が家へ来ると落ち着くだろう。」と
思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

坂道の多いこの住宅地では、自分の足ではどこへも行けず、何でも車が頼り。
「ちょっとお菓子を…」「ちょっと果物を…」「ちょっと足に電気あてにお医者さんへ…」
と、自分の足で歩いていける所はどこもない。

誰一人自分を尋ねて来る人もいない。
外へ出ても誰にも出会わない。
だから2〜3日泊まると「帰らなあかん。郵便たまってたらぶっそうやし、回覧板が来てるかも知
れへん、うちで止まってたら迷惑かける。」等と言って落ち着かない。

急ぎの用があるわけでもないのに、そわそわしだす。

そんな母のところへ、2年前の5月に突然地上げ屋がやって来た。
母の家を含む借家10数軒の家主と売買契約を交わしたから、出てくれと言う。

寝耳に水で、事情を理解できない母は、困っていた。
地上げ屋も、老母と話が通じず困っていた。

そこで地上げ屋は、母に私の住所を聞き、我が家へやって来た。
最初のアイサツ「わたし地上げ屋です、松下です。」と名刺を差し出す。

いきなり、家主との売買契約書、立ち退き後に建てるビルの設計図を見せる。
「8月中に、みな出てもろて、9月早々全部取り壊します。もう他のお家は皆同意書に判を押して
もろてるけど、お婆ちゃんでは話にならないので、お宅だけ残ってる。今なら立ち退き料も用意し
てるけど、グズグズしてお家だけ残って、工事が始まってから出るいわれても知りまへんで。」と、
一応丁寧な言い方に見せて、その実大変一方的で脅迫的。

近所の人達に電話で尋ねると、今まであれだけ親しく付き合っていた人達が、突然口を閉ざす。
曰く「よそはどうか知りませんけど、うちはまだ決めてしません。どっちにしても一軒一軒事情が
違う事やからお宅はお宅で考えて下さい。」と・・・

始めは事情が飲み込めなかったが、要するに「立ち退き料」を決めるにあたって、「若い家族と、
年寄りの独り住まいと一緒にせんといて」ということらしい。

何と何と、唖然呆然、、「追い出される」と言う意味ではみな同じ立場、それに加えてそれぞれの
言い分はあるにしても・・・

しかしみな、突然にして「隣り組み」の仲良しがそれぞれ孤立してしまった。
又地上げ屋も、みなで結託しない様にするため、一軒一軒にいい加減な事を言って回っている。

見事に隣組みの団結は壊れた。
これでは向こうの思うツボと思っても、住民は皆「自分とこは少しでも良い条件にしょう」と、
勝手な交渉をしているようだ。

そうこうするうち、地上げ屋は、一軒一軒解決して行こうとして、普段ひとり住まいの母の所へ
たびたび居座るようになった。
母から、「怖いから来て!」とたびたび呼び出しがかかるようになり、私もいずれ母を引き取ら
ねばならないのだから、もうこの際これをきっかけに我が家への引っ越しを勧めようかと思った。

(ツヅク)
 

                        
                     前に   ホーム   次へ