1999年8月15日
 

<お墓参り>

母と、お墓参りに出かけた。
最近足が弱くなって外出の少なくなった母は、久しぶりの<お出かけ>準備に数日前から大わらわ。
いつも出かける前に、「アレを忘れた」「コレを忘れた」と言って時間がかかるので、「明日はきっと帰省の車なども多くて道が混むかも知れないから、朝ごはんが済んだらすぐに出れるようにちゃんと前夜までに用意しておいてね。」という私の忠告を守り一日かかって用意し、前日にはもう三つの大きな袋が玄関に置かれた。

線香、ローソク、数珠、お供物にお花。そして道中車の中でのおやつに飲み物。
お供えには、亡き父と弟の好きなお酒と、それをつぐ器、それに沢山のぶどうも忘れない。降ったり止んだりの不安定な空模様に傘も要る。アレやコレやで大荷物。
何でもかんでも積み込んでも、車なりゃこそできること。
例によって、今までに何度聞いたか知れない昔話しを繰り返し聞きながら運転。(ド−シテ昔の事はこんなに覚えているのについさっきの事が記憶にないのは何故?と思いつつ…)母は車が大好きで、酔ったりしないから助かる。
 

ラジオの道路情報ほどのこともなく、車の流れはスムース。家から1時間ちょうどで霊園へ、交通整理の方に母の足の事を言って、奥の駐車場まで進ませて頂く。

きれいにきれいに墓石を洗い、お供物を並べて手を合す。
母は仏さんに向って何やらブツブツ喋りながら手を動かしている。「いつも寂しいだろうから、ゆっくり1時間程側に居てあげる。」と言う。
 

親子2代、3代揃って、和やかに次々と参拝者が訪れる。見渡す限りのお墓にはもうほとんど全部にきれいなお花が活けられている。30年程前から開発されたいわば「新興墓場」。この霊場を見ている限り、この時期には日本中の人々がお墓参りをしているように思われる。

しかし実際はどうだろう。「御参りに行きたい」という気持ちはあっても、遠方ゆえ都合のつかない人や、まるきり関心の無い人もあろう。
私自身は別に死後に面倒を見てもらいたいとは思わない。「私の事を忍んでくれる人が居て時々思い出してくれて、そしてそういう人達がこの世に誰も居なくなったらそれまで…」でいいような気がする。
ただ残された人達の気持ち次第だと思う。
残された人達が、なんらかの意味で生前の自分を忍んでくれたら、やはり嬉しいとは思うけど、それは今生きていて思うこと。
しかしお墓に向って無心に手を合す母を見ているといつか将来お墓の中に眠る母を放ってはおけない。お彼岸、お盆、命日…と日が巡る度に「行ってあげないと寂しがってる。」という気持ちになってしまうだろう。
そうか〜〜、このようにして先祖代々お墓は引き継がれていくのか……
しかし、そういう姿を見る機会の無い遠い娘達にこの世界を伝えることは、、やはりむつかしいな〜〜
 

昨日ニュ−スで「宇宙葬」のことを報道していた。カプセルに入れた遺骨の灰をロケットに託して宇宙で撒いてもらうとか…
若くして夫を亡くされた新妻は、「宇宙なら、自分がどこに居ても主人が見てくれていると思うから御願いした。」
と。それはそれでステキだと思う。この世に存在しなくても、残された人の支えになれる人はすばらしい。
 

帰りの車中、母は疲れていねむり。一人運転しながら聞いていたFMラジオから、次々懐かしいメロディ−が流れる。
そしてその番組の最後にこれ又懐かしい「スリーファンキーズ」の高橋ケンタロウ君のうたった歌は、とってもよかった。
悲しいことに忘却力の優れた私にはその歌詞が定かでない。でも確かこんな歌だった。。。
 
♪♪♪  もっと若い時に逢えれば良かった、、と君は言うけど
     僕はそうは思わない。
     年を経てこそ、君はすばらしい。
     若い時は仕方ないよね、何も見てなくて…
     過ぎた時を話さないで、これからを生きよう
     人は誰かを愛して生きている
     大人には大人の愛情がある
     遅咲きのバラを咲かせてみよう  ♪♪♪♪♪

とかなんとか……
そっかーー、ケンタロ−君も、こんな歌の似合う大人になったんだねエ〜〜

この作詞者、山上みちおさんの歌は皆ステキだ。
この年になって江利チエミの「酒場で」も本当に胸にジーンときた。
そうなのよ、若い時には分らなかったことが見えてくる年齢になるってのはとっても幸せなことなのよ。。
何も後戻りなんてしなくていいのよ、、一生懸命生きてきたんだから・・・


 

                        
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