my  Mac
 
999年8月24日
 

< アップル >

10年間海外単身赴任していた夫が、久しぶりに帰宅した時、家に入っての第一声が「ホー、ついに我が家にまでアップルが上陸したか…」と言う発言だった。

空港から家に着いて、ガレ−ジの横の地下室のドアを開ければそこが「マックのお部屋」なもので、最初に眼についたのだ。

遡ること1980年、我ら一家はニュ−ヨ−クに住んでいた。ちょうどその時、夫の勤める会社へ若者二人が契約を求めて来たのだそうな。担当者の話によれば、「伝票の記入方法も、書類の書き方も何も知らない若者数人の、ちっぽけな会社」で、何かと大変だったということ。

そして、時を経て、アップル販売の始めての日本総代理店ということになったのだ。

その成りゆきは、ちょうど昨日から始まった日本経済新聞の記事「パソコン革命の旗手達」のシリ−ズ『リンゴの上陸』に今日も詳しく書かれていてとても興味深い。

しかもそれから年を経て、つい最近「アメリカ大陸自転車で横断」のヨシ比嘉の声の、ネットへアップするについて御尽力下さったジェームス比嘉さん(ヨシの甥)こそが、このアップルの日本語入力システムを作るための総責任者であられたとは…

写真家として活躍されていたジェ−ムスさんが、ある時仕事の関係で知り合ったスティーブ・ジョブズによってその能力を認められ、アップル社にスカウトされたのだそうな。。そして現在は、ハイテクの最先端を行く「リアル・ネットワ−クス社」の社長である。

機会を得て、そのジェームスさん御一家と一日御一緒させていただいたことがある。大変な激務でさぞかしピリピリと神経質な方かと思っていたのが大間違い。美しい御婦人と可愛い坊やにとって、素晴しい家庭人でもあられた。

大変な世界の事を何でもないことのようにサラリと話して下さる雰囲気は、さすがにヨシ(気軽に自転車で8000キロの)と同じ血筋をひいておられると感じたものだ。

それにしても電話の応対を、全く普通の人と変わりないように出来る「ロボット音声」のお話などお聞きしていると興味はつきない。

私達、いや「私」のように、「遅れて遅れて何とかバ−ジョンアップにもついて行ってる。」と言う程度の人間から見れば、とんでもない先を走っておられるのが良く分る。
それにしてもアップルとは色々と不思議な御縁があるものだ。
 

                 
                
                                                   ベゴニア
<母のお客さん>

母が2年前に、我が家に越して来るまで住んでいた家の御近所の方が2人、今日久しぶりに母に逢いに来て下さった。
「久しぶりにおしゃべりしたいから伺います」とお電話を頂いて以来この3日間、母の部屋のおおそうじ!!

とにかく10トントラックに山積みの荷物と共に我が家へ移って来たのだからその整理は大変。しかも何一つ処分したがらない。庭に物置きを4つ購入して部屋のスペ−スをとったが、何もかも入れるので、八畳+広い廊下+二間の押し入れ二つ+玄関の一部、では足らない。

不要なものさえ処分すれば充分いけるはずだが、とにかく今は亡き父や弟の衣類まで「懐かしい思い出やのにほらんといてや!」と本気で怒るので手を出せない。

しかし、今回はチャンスだ。お二人とも我が両親と何十年も夫婦でおつき合いをして来たのだから、母の部屋の仏壇を無視されるはずはない。「これじゃー座って頂く場所がない」と言って、せっせと片付けていった。誰が見ても一生使うはずのないものでも「ほらんといて」「置いといて」と繰り返す。根負けして、「又ゆっくり片付けることにして、取りあえず…」といって、2階の廊下や、納戸に入れる。

しかし何とか、片付いた。二人の友達を迎えて、いつもは客人を入れたことのない自分の部屋に入り込んでお話が尽きなかったようだ。
3人のおしゃべりに加わった時、「不要なものを処分すれば、もっと広く使えるんですけどね〜〜」とつい口を出せば、2人のおばさまから口を揃えて「いいえ、私らも包装紙の一つでもよおほらんと、何でも置いてるゆうて、いつも息子に怒られまんねん」と反論されて恐縮した。そりゃそうだ、母と同年代なんだから…

教訓: 年をとればとる程、物を捨てるのが下手になる。もう「物」を増やすまい。常に身辺整理を心掛けよう。
 
 
 
 

                        
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