ちょっと母親らしくなったナーちゃん

2000年1月7日(金)
 

< 海外赴任の妻 >

10年前の読書記録だが、小さな手帳の空間がびっしりと小さい字で埋まっている。
桐島洋子さんの随筆集の中の一節『海外赴任の妻』である。

余程「そうだ、そうだ。」と同感したのだろう。
もう一度眼を通し、ここに抜粋して転載させて頂く。
 

はっきり言って、日本で付き合う主婦達に感銘を受けることは少ない。
大した主婦業はしていないようだし、それにしては随分所帯やつれして美しくない
ようだし、もっともっと生かすべき資質があったはずなのに、と人ごとながら勿体
なくて苛立たしいオバサンが多い。

転勤の度に新生活を設営しなおすとか、子供を異文化に適応させる一方で、日本人
であることも維持させるとか、家庭の事だけでも大変なのに、それ以上に対外的な
任務が急増する。

始終招んだり招ばれたりの社交生活をこなさなければならないから、会話とマナー
と嗜みが極めて重要だし、インテリアや料理にも手を抜けない。

そして妻たちは、夫のヒエラルキーがさらに微妙に屈折した複雑な階級社会に属し
ているのだが、海外の日本人社会ではそのプレッシャーが特にきつくなる。ともか
くおそろしく神経を使い、こまめに身動きする毎日だ。

だから当然激しく鍛えられ、持てる資質は否応なく伸張する。それに自分が必要人
物だという自信と責任感で心身に張りができ、凛々しく女前が上がる。

勿論そうはいかずに落伍する妻も少なくないのだろうが、ニューヨークの同窓会に
集まったような面々は、しっかり勝ち残った文句なくプロフェッショナルな主婦ば
かりだから、打てば響くような聡明さがいかにも小気味よい。


まさにそうだと思った。
海外赴任3〜5年の間での身辺の人達の変身ぶりには、眼を見張るものがあった。

あれから10年経ち、少子化とともに専業主婦も減り、社会に出て働く人も増えた。家庭を
持ち子育てをしながら、立派な仕事を続けている素晴しい女性もたくさん知っている。
しかし一方では、最近マスコミをにぎわす「幼児虐待」「乳児殺害」・・・
子育てに自信を無くす。
要するに世界が狭すぎるのだ。

もっと広く眼を向けよう。
子供の一挙手、一投足に神経質になり過ぎるから、子供もまた神経質になるのだ。
母親が、自信を持って生活を営んでいれば、子供の心も平穏、母親も落ち着いていられる
のだ。

もっと、自分自身が精一杯生きて行こう。そうすれば、子供に向かう時間も限られた時間で、
却って濃密に過ごせる気がする。                  
 


 

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