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シカゴ ミシガン湖のほとり
1999年10月7日(木)
< Flower Arranging >
ニュ−ヨ−ク植物園での「フラワー・アレンジング」のクラスであるが、此れは期待した程ではなかった。
というのも、 私は母の方針で、小学校の時から『いけばな』のお稽古に通い、いわゆる日本の伝統的活け花に関しては、もう学生時代に師範の免許も看板も頂いていた。だからこそ、『欧米流いけばな』であるところの Flower Arranging にも興味を持ち、勉強したいと思ったのだ。
が、しかし、担当の講師は大の『活け花』ファンであり、「日本流活け花こそ進んだFlower Arrenging である。」という考えでおられたばっかりに、私にとってはあまり興味のない内容だった。でもま、一応コサ−ジやブ−ケなどの実習もあったので1ク−ル3ヶ月だけ参加した。丁度其の頃、東京から花屋さんのグル−プで、シカゴのAmerican Floral Art School へ集中レッスンを受けに行くという企画がある事を知った。
1978年の事。まだ日本ではフラワ−デザインと言う言葉さえ知られていない頃だが、大きな店鋪を持つ花屋さん達は此れからの需要が増える事を予想されてアメリカへ勉強に来られるのだ。
東京からまずニュ−ヨ−クへ来て、フラワ−マ−ケットなどを見学して2泊し、それからシカゴで1週間の講習を受けるということだ。
さっそく主催者である東京日比谷花壇の社長と連絡をとり、ニュ−ヨ−クからの途中参加を御願いした。
此れは素晴しく内容の充実した毎日だった。
文字どおり朝から晩まで、毎日お花との格闘!ウイリアム・キスラ−先生と、助手のジョンさんと、私達研修生10名。
まず朝、山となった花材を前に、本日の予定を話される。例えば、ある日は結婚式場の花 : 教会を飾る花(テ−ブルの上と側面、壁面、スタンド、聖書台用、そしてもちろん花嫁のブ−ケ、花婿のブートニアなどなど)
大きなアレンジメントから徐々に小さなアレンジに移って行き、最終的には小さなブ−ケ、コサ−ジへと移って行く。毎日テ−マが変わり、大きなパ−ティ会場に飾る花、御葬式での花(色情の部屋の飾りからお棺に飾る花まで)、芸術的な展示用のアレンジメントなどなど…
もう息つくヒマもない、食事をとる時間さえ惜しい程の充実ぶり!
今度いつ会えるか分らない海外からの生徒達に、限られた時間の中でひとつでも多くの事を教えようというキスラ−先生の熱意。
日本では学べない技術やデザインをひとつでも多く吸収して帰ろうと思う生徒の熱意。
双方の熱意がひとつとなって、毎日頑張った。そして最後の日には、めでたく全員 Certificate (免状)を頂いた。キスラ−先生によれば、「今回の研修会の内容は、我がアメリカン フロ−ラルアート スクールの1年分の学習内容に匹敵する」ということだ。
「お花を色々デザインする」此れはとても楽しい作業だった。
しかし、この欧米流のフラワーアレンジングというものは、要するに、式の間、パ−ティーの間、その時間だけ美しければ良いのだ。極端に言えば、お客様の帰ったパ−ティ会場では、テ−ブルなどと共にお花は全て処分される。だから、花材は、開き切った花を使うし、デザインするためには皆花首をちょん切って、針金を突き刺し、自在に形をつける。葉は全部むしり取られ、針金になった茎は、テープでまかれ、アレンジするために他の緑を持って来る。
何だか可哀相だ。コンポ−トに溢れんばかりに差し込んでデザインされた花も、勿論豪華ですばらしい。
しかし、私にはやっぱり日本流の「活け花」の方が、ショウに合っている。
つぼみや、開きかけの花の美しさ。やさしくやさしくためて(曲げて形を作る)微妙な曲線を作り、花と花との間の空間の美しさを表現する。
これはやはりびっしり活け込む欧米流では表現できないことだ。せっかく身に付けた最新欧米流活け花を、帰国後日本で広めようとも思っていた私の考えは変わった。
でもそれから20年以上経ち、いつの間にか日本でも普及し、今の若い人達は「華道(活け花)」よりも「フラワ−デザイン」を好む人の方が多いようだ。両方の世界を知って、比較できる目(違いの分る目)を持てば、キットみな『いけばな』の方に軍配を挙げるだろうと思うのだが。。。
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