(切り絵)吾足るを知る

1999年11月13日(土)

< 座禅 >

田中さんのバッグから出て来て( 11/8 )、頂いて帰った「僕の仏教入門」立松和平著は、
面白かった。
最近は睡眠不足が続いて、つい読書も捗どらないのだが、この本は一気に読んでしまった。

中に参禅体験記も書いておられる。
永平寺で4日間、参禅されたそうだが、さすがに作家ゆえ、その様子がよく分る。

我が友おせつも、参禅体験が有り、前から「私は菩薩戒を持ってるのよ」と聞かされていた。
大学一年生の時、高校の時の先生に勧められて広島のお寺で座禅に入ったそうな。
毎年夏休み毎に10日間、それを4年間も続けたのだから、やはりそれだけの意味があった
のだろう。

今その時の事を聞いても、「あんまり昔の事で覚えてないわ」というけれど、いずれにして
もそんなに若い女性は少なかったようだ。

座禅・食事・老師様の法話を聞く・作務(掃除、草抜きなど)等が全ての毎日。

「座禅も作務もつらいとは思わなかったけど、一番困ったのは食事よ。」
「ああ、やっぱり〜〜。立松さんもそうだったって、書いたある。座禅の姿勢のまま食べる
のがつらいんだってねー。厳格な作法が大変なので、食事に1時間20分くらいかかって、
足が痺れて苦しい。厳しい座禅より、食事の方がはるかにつらくて、食べない方がマシだと
思ったって…」

「ううん。そうじゃなくて私の場合は、座るのは問題ないのだけれど、その食事のあとがい
やなの。ご飯のお椀と、吸い物椀は、食事が済んだらお湯を入れ、たくあんできれいに洗って
そのお湯を飲み干さないといけないのよ。もうそれがいやでいやで、耐えられなかったわ。
食器は食後そのようにして洗ったものを、ふろしきに包んで台所の棚に収納しておくの。」

「座禅は、半跏趺座(はんかふざ)でも良かったし、スカートで足をおおってるから、そん
なにしんどくはなかった。足が短いから結跏趺座(仏像などでお釈迦様が座っているスタイル)
は無理だったし。。」

うんうん、立松さんの場合も「股関節が硬いぼくにはとても難しいので半跏趺座をした。」
と書いてあったわ。
右手は、不浄とされているから、座禅の時は必ず右手を下にして、その上に左手を置き、右手
は隠すんですってね。
 

10年程前、法事がたて続きに有り、お経を唱える機会が多かったので、「一体どういう意味
なのか」と興味を持ち、般若心経をひもといたのに、いつの間にか縁遠くなっている。

数年前におせつが、高松へ転勤になったのを機会に、おせつの母と私の母との4人で、
「四国八十八ケ所を御参りしましょう」と始めたのも、その後おせつの母上が病に伏せられた
のでほんの10ケ所くらいでそのままになっている。

おせつももう1年で任期を終えて西宮へ帰ってくる。
それまでに必ず又札所巡りをしょうと思って、早速おせつにそういったら、「こちらでは、
霜が降りたら御参りはやめなさいと言われている。お札所は山の上が多いから危険みたいよ。」

と言う事で出ばなを挫かれたが、ヨシ!春になったら御参りするぞ〜〜!!
 

立松さん曰く、
「八十八ケ所は、大地をキャンパスにして描いた、本当に見事な曼陀羅です。その曼陀羅を
歩いて行く事により、人は自ずと浄化されていく。何故か。歩く事は瞑想だからです。…」

そして又、「四国の霊場を巡る旅と言うのは、現世とは違う世界、他界に入って行く、死の中
に入っていくということだ。だから死装束をして、鈴を鳴らしながら歩く。その歩みの根底には
『人生は旅だ』という死生感が色濃く流れています。」

ウーム、 車じゃだめか〜〜〜。以前は足の悪い母上2人が同行だったけど、おせつと2人
だったら、歩くべしか…

                         
                        
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