ナーちゃんの子
 

1999年8月30日
 

< Ms.N.Kazuko >

きょう、和子さんが「いよいよ主人のお墓をこちらへ移すことにしたんだけど、予想していたよりズーート大変!!」と話してくれた。御主人の親戚達からの反対があったし、向こうでお寺さんに拝んで頂き、又こちらではこちらのお寺さんに拝んで頂き、親戚一同に連絡を取りナドナド  大作業だそうだ。いや作業なんて言葉ではいけない、でも分らない、すみません。。

和子さんの御主人は42歳の時、突然事故で亡くなられた。その時和子さん35歳、長女中学1年、次女小学校5年生だったそうだ。

「何でも主人を頼りにして生きて来たのに、突然何もかもが自分の肩にのしかかり、もう無我夢中、必死でやって来たの。」と何度も何度も彼女から聞かされている。

経営されていた二つの店の営業と、従業員達への気配り、思春期にさしかかる難しい年頃の娘さん達のお世話。
どんなに大変だったか想像に難くない。
お店の事など彼女は何も知らなかったのだから…

その御主人のお墓は郷里の三重県の交通不便なところ。しかし彼女は、毎月欠かさずお墓参りを続けていた、もう20年以上。しかし歳と共に、その遠路が体力的にしんどくなって来た。だから近くに移したいのだそうだ。

いつもお墓に「有難うございます。有難うございます。」って手を合わせてくると、とても気持ちが落ち着くのよ、と言う。
私はうろたえた!「エ−ッ、お墓に手を合わせて、お願いをするんじゃないのーーー? 私はいつも父のお墓に手を合わせると、「母が病気しませんように、元気で長生きできるように、一人暮らしの娘を見守ってやって、」等など思い付く限りのお願いをするのだけれど、これは間違い?」

「何言ってんのよ〜、死んだ人に御願い事してどうするのよ、、仏さんが困るだけじゃないの… 仏さんにはただただ、有難うございますと言って手を合わせるもんよ。」
「ヘ−ッ、驚いた! それであなたは何に対してお礼を言ってる訳?」
「そりゃあなた、元気で生きていることだけでも感謝、いくら苦労しても、その苦労をできることに感謝、何でもお陰さまって感謝じゃないのーー」

そうなのか、そうだったのか、感謝の心か…
そういえば、お願いごとばかりするっていうのは、現在の境遇に満足してない、もっと何かを…といつも不満足な心でいることになるのね。

信仰心を持たぬ私は、和子さんのお陰で、ひとつ賢くなったような気がして嬉しくなった。
 

                        
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