ワシントンスクエア辺り
 
1999年9月29日(水)
 

< 偶然とはいえ… >

ビックリしました!!
ゆうべ、28日のDiaryをアップロードして、Macに「おやすみ」を言って、お風呂に入り寝室に入ったのが午前12時47分。

「ねぐすり」片手に「ちょっとニュースでも…」と思って、ベッドサイドのミニテレビ(15センチ程の画面)のスイッチを入れた。

そしたら何と!!!
今、たった今、懐かしく思い出しながらDiaryに綴った「ニュ−ヨ−クのワシントンスクエア」が、まさしく写し出されているではありませんか!!
あまりと言えばあまり… こんな偶然があって良いのでしょうか??

驚きつつ画面に見入る。あのワシントンスクエアが、あの時と同じく、人がいっぱいいて、皆それぞれ勝手に好きなことをして、そして奇術に人だかりもしている。。。

ワオッと思って見ている内10分もしないで終ってしまった。
新聞の番組欄を見ると、0:35〜0:55 『ニュ−ヨ−カ−ズ』となっている。
お話の内容は、「聴覚障害者のための『音楽セラピー』に捧げるクライブロビング先生のお話だったようだ。その番組の最後の場面は、ニュ−ヨ−クの夜景、窓に明かりのともった、エンパイアステートビルディングも!

あ−!懐かしい。。
これでは興奮して「ねぐすり」が効かない。
ニュ−スと天気予報を聞きながら「囲碁」の本を開く。

と、いつの間にか、吉永小百合さんの『原爆詩』が聞こえて来た。
何度聞いても、涙なしに聞けないこの『原爆詩』。
眼と耳は又、テレビに釘付けになる。

何度も聞いているのに、何度も読んでいるのに、又眼が潤んで、鼻が詰まってしまう。

   「うましめんかな」
   「原爆」
   「折鶴」
   「慟哭」
そしてしょうじようー、やすしようー、しょうじよう-、しょうじ、しょうじーーーー・・・・・
     お母さんが、亡くなった息子達を呼び続ける悲痛な叫び

もうわたしの涙腺も限界。涙の流れるままにまかせた。
「明日の朝、マブタがはれたらみっともないなー」と思いつつ…

この吉永さんの朗読がアメリカのシアトルで行われたのだ。
そしてフロイドシュモ−さんと言う人のお話があった。この方は何と104歳。でもしっかりお話をして下さる。
広島と長崎に原爆が投下された時、この方はすぐさま広島と長崎に行き、ボランティアで被災者のための家を建てられた。

「全てのアメリカ人が、原爆投下を思っていたのではないことを、伝えたかった。」
「せめてボランティアで家を建てて、原爆を落としたことを謝りたいと思った。こんなアメリカ人も居ることを知ってもらいたかった。」
とおっしゃる。

その時のフロイドさんが健在でいらっしゃるのだ。
吉永さんと会って話をされたのだ。すばらしいことだ。

この番組のタイトルは、「祈るように語りつづけたい・2」『吉永小百合アメリカで原爆詩を読む』NHKだった。午前2時35分、番組は終った。感激した心のまま、眼を腫らしたまま、眠りについた。。

生年月日が私とたった2日しか違わない吉永さん。
私達には出来ない素晴しいことをあなたはして下さっています。これからもよろしく、私達の思いも込めて語り続けて下さることを願っています。

                        
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