第36条(ペナルティー)
- (永久出場停止)「永久追放」の用語変更
- スポーツマン精神に違反する行為が、社会的に著しいとき。
(旧表現/削除)社会的な背任行為など著しくスポーツマン精神に反する行為があったとき。
- 2度目のドーピングルール違反をしたとき。
補足説明
- 「永久出場停止」は、競技者の人権問題もあり慎重でなければいけない。「上記1)」については、民事、刑事事件など社会問題となるようなケースであろう。
- 「上記2)」については、国内の現状では、実施されていないため、海外大会に参加した競技者が適用を受ける可能性がある。だたし、98年のロングディスタンス世界選手権佐渡大会およびワールドカップなどで実施される予定。
- 国内で実施される場合、JTUメディカル委員会の指導により実施される。
罰則の現場から (95年10月17日付け報告より抜粋)
95年度トライアスロン大会でのタイムペナルティについての私見
先の大会で起こった、1分間のタイムペナルティの件で、断片的な情報だけの状況ですが、JTU競技・運営ルールを基準をー前提に次の推論を行ってみました。
大会は、ローカルルールが適用されたとのことであり、これに対し異論を唱えるものではありません。あくまでもJTUルール適用を仮定し、どのように判断があるか、若干の希望も付記しました。また、本件は、ルール適用の参考事例となるものです。
- JTU競技規則第36条2(警告)(1)
- 「警告は失格を与える前に必ず発せられるものでない」ことは、トライアスロンにおいて周知された基本である。該当選手は、一般大会への参加経験もあり、これを知っていなけらばいけないトップ選手のひとりであった。
- 審判業務の重要な任務のひとつが、「失格とならないよう選手を指導・管理すること」であり、これは競技説明会あるいは、それ以前に実行すべきことである。
- 次に、「失格となりそうな行為に注意・警告を与え、これを正すこと」がある。競技者は、失格の状況にあっても、これを自ら修正する、あるいは、注意・警告により直ちにルール順守状態に戻すことで、ペナルティを受けずにすむ場合がある。これは、失格が免除されたとはいえず、最終判定を受ける。*第36条(4)
- 該当選手がペナルティー対象とされた“伴走”について、下記の事項が考察される。
- 伴走をしたのは、本人とは無関係の一般人であり、ランニング中でこれに気がつかなかったとのことである。
- 第三者がこれを発見し、審判に伝えた。これを受けて、審判長は、大会規則による1分のタイムペナルティを科した。
- 「伴走の定義」は、「競技コース内で起きた場合」と考えるものである。もし、コーンなどで明確に仕切られていたコース外であったなら、「伴走のペナルティー」を与えることは厳しすぎると考えてよいだろう。もちろん状況により、審判裁定に委ねられる部分でもある。
- しかし、この「コース外伴走」が際立っている、明らかに「ラビット的な役目」を果している、「個人的な声援を送っている」などの場合は、JTU第12条(個人的な援助の禁止)(3)の適用となるだろう。
- ここで、主催者側、審判団として反省しなければいけないことは、現場で注意できなかったことである。運営体制を再考しなければならない。
- さらには、先頭で走っていた選手について、これが起こったことは、「選手ではなくて、主催者そして審判団がペナルティーを受ける立場である」。これを認識しなけらばいけないだろう。審判側の不備としてとらえられても仕方がない。この根拠は、JTU運営規則第52条により、審判長は理事会により承認され管理さているものであるからだ。
- 第三者からの報告に基づく対処
- 第三者からの違反報告を認めるか否かについて討議されたようだが、JTU運営規則では、「トライアスロンの品格と威厳を高めるため、主催者と関係者の一致団結した協力体制を確立する」としており、関係者に該当する「第三者は、重要な存在」と理解し、これらの協力に対し感謝こそすれ部外者扱いするものではない。
- 審判長が、第三者からの違反報告に対しやるべきであったことは;
- 「抗議用書類」に違反状況を明記してもらうこと。
- 審判団、主催運営員から事情を聞くこと。
- 本人から直接事情を聞くこと。
- 本人の言い分と第三者からの報告の相違点を確認すること。必要であれば、再度、第三者からの確認を取ること。
- 運営状況が正しく行われていたかを責任者に確認すること。サインの出し違い、運営の不備によりルール違反となってしまうケースがあり得ることは、重要なチェックポイントである。
- 総合見解を所轄競技団体あるいは大会責任者(大会会長)に伝え、決定した判定内容を説明し了解をを受ける。このようなプロセスを基本とできる、「公正で広い視野を持った審判」が必要である。
- 該当選手が「判定」に対し抗議したことについて(第37条)
- 判定に対して抗議できないことは、トライアスロンに定着したルールである。
- 野球のストライク・ボールの判定に抗議が許されていないのと同義である。よく口頭で文句を言っている光景を見かけるが、これは抗議として捉えられていない。たんにアンパイアに「理由」を聞いているだけと解釈される。もっとも野球では、これも禁止されているようではあるが。
しかし、過度のものと見なされると、禁止されている「抗議」をしたと受け取られ「退場」つまり「失格宣告」を出されることになる。
- 該当選手が、タイムペナルティの宣告を受けて、異議があった場合やらなければならなかったことは、「JTUルール第37条(1)」に従い、本人あるいは代理人を立てて口頭で審判長に「抗議の第一段階」である、理由説明を求めることであった。しかし、選手がやったことは、審判団以外の複数の関係者に「無実の訴え」をしたことである。
- JTU競技ルールの第2条(競技者の賛同)で規定する、「トライアスロンの威厳と品格を損ねた」と解釈されても仕方ないであろう。
- 過去、日本のトライアスロン界は、特にドラフティング違反の判定に対し、自分の正当性を主張するあまり、あちこちに当たり散らすという秩序のない時代を経験している。これは、マスコミ、スポンサーを含む関係者に著しい悪印象を与えことは大きなマイナス要因であった。
- 一方、さらに推測するならば、選手の抗議に対し、審判長は適切な対応をしなかったために、本人が納得できず、このような挙に出たとも解釈することが出来る。本来であれば審判長は、これを総合的に説明し、選手を良く「教育」しなければいけない立場である。しかし、審判団が教育されなければならない印象となってくる。
- 判定が覆されたことについて
- 以上から想定されるのは、選手が強行に抗議したので、第三者の報告に基づいてジャッジした負い目もあって判定を覆したものと想定される。
- ルールが教えることは、上訴委員会における聴問会が正式に行われたか否かである。仮に正式なものでなくても、判定を下した「審判長を除く主催者」が、選手から直接事情を聞いたかどうかがポイントであろう。
- 「疑わしきは罰せず」との理論があるが、「疑わしきは徹底的に議論し、なぜ疑わしかったのかを究明すべき」である。これにより、関係者の全てが、洗練された方向へトライアスロンを導く「絶好のケーススタディ」となるはずである。
- 注意と警告と失格
- JTUルール、ITUルールでも共通であるが、失格が宣告される前に必ずしも注意・警告が発せられるものではないことは前述の通りである。しかし、ここで気をつけなければいけないことは、これにより審判員が独断的になる危険をはらんでいるということである。基本は、やはり「注意を与え、指導し、教育する」ことが大前提となる。
- また、「審判の断固たる態度の奨励」は、ややもすると総合的な判断を歪めることが懸念される。トライアスロンは、繰り返すまでもなく、判定を下せる権限を持つ審判長が、スイム・バイク・ランを隅々まで見ることは、ほとんど不可能である。それゆえに、審判員による「違反報告」を基に、判定を下すプロセスが用意されているのである。
- 審判長そして審判員は、大会の現場では、エキサイトし我を忘れ、ルールさえも忘れて競技しているものだ。審判とは、「選手の足元を照らす灯台守」のような立場であるような気がする。監視員である審判員は、これを冷静な場で、決められた手順で判断すれば良いのだ。
- もちろん、毅然とした態度を示さなければならない場面もあるだろう。例えば、明らかな危険行為があり、これを改善しようとしない選手がいたら、これは、基本的に最終判定を行うことが出来ない審判員であろうとも、即刻競技停止・コースアウトの処置を取ることが許されるわけだ。この判断は難しく、審判員の総合力が試される場面である。
- 時間の厳守
- 抗議の時間制限は、記録・判定が発表されてから30分以内とするものである。選手がフィニッシュしてから、あるいはリタイアしてから60分以内とされるものではない。
- 記録が大会当日に発表されない場合は、後日、抗議を行うことになる。ペナルティについては、そのようなことがないと思うが、ここで想定しなければならないことは、この30分の厳格性と正当性であろう。仮に、選手が表彰会場に行ってしまったあとに、フィニッシュ付近に掲示しても正当とは思われない。また、数分遅れの場合はどうするのかなど、これを厳格にしすぎると「不信感」が芽生えるのみで教育的発展にならない。
- さらにいえば、抗議の次に「一般的上訴」そして「理事会への上訴」、「評議員会(総会)への上訴」そしてさらには「上部組織への上訴」と連動している。ITUであればスイス・ローザンヌにある国際スポーツ調停機関(ICAS)にまでたどり着くものである。
- このことは、大会現場で時間内に抗議しはぐったとしても、納得ある事情が添付されれば、審判長への直接的な抗議を飛ばし、理事会への上訴まで持ち込めると理解出きるのである。だから、時間を厳守させないで良いとするのではなく、トライアスロンは依然として「主催者責任」を追求されたとき、弱い立場であるという認識が現実的な考えである。それゆえに、選手に強く出すぎることは望ましくないことはいうまでもないことだ。
- 「選手と審判団、選手と主催者の信頼関係」いかに重要であるかが理解できる。
- ルールの改善について
- 第三者からの違反報告に対し、新たなルールを作成しないと対応出来ないとする考えもあるが、以上のように現行ルールにおいても対応出来ることは理解される。
- ただし、これらを受け、例えば、「ドラフティングは、相互的に注意しあう。相手のドラフティング行為を拒否しなければならない」とする意味合いをルール化することは検討に値するものだ。
- さらには、観客そして関係者にもっと「ルールをPR」し、「ルールを知って、レースを楽しんでもらい、観客からも違反報告をしてもらう」ような機運を育て上げたいと考えたい。「主催者と関係者の一致団結した大会」の趣旨に良く適合したものである。
- さらに言えることは、「トライアスリートは、競技者である前に社会人である」「競技ルールが適用される前に、社会ルールが適用されている」ことの意味をじっくりと考える必要がある。
- スポーツを通じた教育の場
- 学生のトライアスロンについて、特に強く主張したい点は、「トライアスロンというスポーツを通じた教育の場」であるということである。本来、自由で柔軟なはずの学生がややもすると型にはまりすぎるような気がする。
- トライアスロンは、オリンピックとなった現時点においても発展途上のスポーツだ。学生たちに期待したいのは、これをいかに発展させていくかであり、固執することではない。学生が考える、「現実的で夢のある選手がやる気になるルール」が提案されることを望みたい。